

東京都中央区の仮面ライダークウガの撮影地、豊海橋を見に来たついでと言っては何ですが、近くに架かる橋、
永代橋も観てきました。
現地を見るまで気にしてなかったのですけど、永代橋の辺りもクウガのロケ地でしたね。
豊海橋の側の小さな社、高尾稲荷社もほんの少しふれてます。
訪ねた日:2025年12月11日
写真・文:えふゆ 無断転載厳禁
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豊海橋の記事はこちらです。
豊海橋の景色 東京都中央区日本橋 仮面ライダークウガ ロケ地
概要

所在地
〒135-0034 東京都江東区永代1丁目 ~中央区新川1丁目

隅田川テラスの豊海橋側に永代橋の解説パネルが設置されてます。
その解説によりますと、
永代橋は、元禄11年(1698)に架橋された木造橋。
豊海橋も同じ年に架橋されたみたいですね。
当初は現在の位置より約150メートル上流に架けられていたそうです。
橋の名の由来は、当時このあたりが「永代島」と呼ばれていたことから名付けられたとか、
将軍徳川綱吉の五十歳を迎えた記念として名付けられたとも伝えられているそうですね。
江戸時代の永代橋は橋脚が高く取られていてそうで、
西に富士山、北に筑波、南に箱根、東に安房上総まで見渡せるほど、美しい景色が広がっていたそうです。
現在の場所に永代橋が移されたのは明治30年(1897年)。
道路橋としては初めての鋼鉄橋に生まれ変わりました。
その後、関東大震災で被災したため、大正15年(1926年)に現在の橋へと架け替えられました。
上流に架かる清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、男性的で重厚感のある趣の橋ですね。

解説パネルに載せられている浮世絵は、歌川広重が江戸後期に描いた「東都名所永代橋全図」
活気のある賑々しい風景。手前右に描かれてる橋は豊海橋かな。
以下は
国立国会図書館Webサイト電子展示会 日本の名所内 永代橋紹介ページ
からの引用追記になります。
永代橋は現在の場所より100メートルほど上流に有った。(屋外解説パネルの説明と距離が違う?)
創架は元禄9年(1696年)または同11年(1698年)と云われる。これより前の時代では「深川の大渡し」と呼ばれる渡しだった。
文化4年(1807年)深川八幡の祭礼に向かう混雑により橋桁が落下する事故が発生。
赤穂義士が吉良邸から泉岳寺へ向かう途中に渡った橋としても有名。
平成19年(2007年)6月に清洲橋・勝鬨橋とともに重要文化財の指定を受けた様ですね。
参照は、
photograph 永代橋の景色

豊海橋側のテラスから見てます。

そばまで来ました。

なんか説明がありますね、「土木學會選奨土木遺産」と掲げられてます。
関東大震災後の復興事業での橋の架け替えで、永代橋は筋骨隆々な男性的、清洲橋は優美な女性的なイメージを演出されたとか。
そんな二つの橋をワンセットで第1回選奨土木遺産に選定。
その理由は二つ、
二つの橋は近代橋梁技術の粋を集めた復興橋梁群の中心的存在。
永代橋は日本初のスパン(橋脚・橋台間の距離)100mを超えた橋、現存最古のタイドアーチ橋
と刻まれてます。
タイドアーチ橋については説明を読んでも、あまり理解出来ませんので割愛します。
景観的に優れたデザインが可能な工法なんですってね。

「橋に登らないでください」の注意喚起が立ってます。登る人なんてねぇ。


両岸がすごく低く伸びて、中央部分で「ぐわぁん」って感じでアーチになってますね。

登る人はいないでしょうけどね・・・、なるほど「登るな」の注意喚起は必要なんだなぁ、と感じました。

リベットで覆われて武骨ですけど、この角度から見ると動きがあるふうに見えなくもない?

日本橋川河口と豊海橋


タイミングによっては車の通ってない橋みたいな光景が度々あります。

空色のたこ焼きの列




煉瓦積み?

来てみてから「見たことある景色」と気づきました。
この辺りは色々なドラマ・映画で撮影されてる場所ですよね。
日中の景色もなかなか良いと感じますけど、橋がライトアップされる夜景が素敵な様ですね。

撮影された色々な映像作品の一つが、仮面ライダークウガ EPISODE9
未確認生命体第21号が川から現れて、その場に居た女子高生を襲った現場でしょう。
(映像では「台東区内 10:15 a.m.」のテロップ。犠牲になった場所は永代橋の下でした)




佃島に聳えるタワマンの群れ。写真左に架かる橋は相生橋、右は中央大橋。
都会の水辺の景色です。
中央大橋寄りの上空で未確認生命体第37号が爆発しましたね(クウガEPISODE 26)。
実際あんな爆発が起きたら直下に建っている建物に影響あるだろうなぁ。


此処までご覧下さいまして ありがとうございます。
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【KADOKAWA公式】人気作品のフィギュア取り扱い多数高尾稲荷社

豊海橋近くに建つビルの一角に社がありました。
高尾稲荷社(稲荷神社)です。
所在地
〒103-0015 東京都中央区日本橋箱崎町10−7


鳥居が鉄骨で組まれてます。天井に雲が描かれてますね。(池田葉月「彩雲」)

鳥居を潜ってビルの壁面に由緒が貼られてます。
遊女の悲劇から始まるお話が記されてます。
高尾稲荷社の由来
万治2年12月(1659年)吉原の遊女の最高位の称号を与えられた 二代目高尾太夫傾城は容姿端麗、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ比類なき全盛を誇ってました。当時19歳。
仙台藩主伊達綱宗に寵愛され身請けされるも、彼女にはすでに意中の人があり、操を立てて従わなかったため、隅田川の三又(現在の中洲)辺りの楼船上で吊り斬りされ川中に捨てられてしまいます。
遺体は数日後、豊海橋の架かるこの辺りに漂着。その地に庵を構えていた僧が手厚く葬ったと云われてます。
彼女の不憫な末路に同情した人々により社が建てられ、神霊高尾大明神として祀り、当時盛んだった稲荷信仰と結びつき、高尾稲荷社となったそうです。
昭和初期頃まで参拝で訪れる人も多く縁日には露店も出て賑やかだったそうです。
社は最初、旧永代橋の西側に有ったそうですけど、倉庫建築に伴い現在の場所へ移され、社殿も戦災で焼失し戦後に再建。
この社には稲荷社としては全国でも非常にめずらしく実物の高尾太夫御本人の頭蓋骨を祭神として安置してるそうです。
御神徳は、頭痛・ノイローゼや薄髪などの頭にまつわる悩み、商売繁盛、縁結び、学業成就
があります。詳しくはそちらをご覧下さい。
最後までご覧下さいまして ありがとうございます。
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