発達障害と診断された息子との日々を思い返す備忘録2 支援学級編入編

こんにちは えふゆです。

現在高校2年生(2021年現在)のひとり息子 いゆ太くんは、発達障害と認定されております。

そんな いゆ太くんが小学校三年生の時、通常学級から支援学級に編入することになった いきさつを振り返ってます。

詳細な記憶が薄れつつある今、もっと色々なことを忘れてしまうまえに思い出せる事を書き残すつもりで備忘録を記してます。

前回、小学校入学前から小学校三年生の夏休み前の途中まで、記憶を辿りました。

もしよろしければ、前回のお話はこちらからお願いします。

今回は支援学級へ編入する事になった小学校三年生の夏休み直前の出来事からの思い返しです。

  • この記事は2020年から2021年に執筆しました。記事を記した頃と投稿をした今(2023年)では、いゆ太くんも家族も少々状況や心境に変化がありますが、執筆時の気持ちを記録する意味で記事内容をあまり変更せずに投稿しました。

校長先生と面談

いゆ太くんは同い年の子と比べて成長のスピードが緩やかなのでは、と妻や小学1・2年の担任の先生が洩らしていましたが、

小学校三年生に進級して、クラス替えや担任の先生もよく怒る先生に替ったりと状況の変化がさらに周りの子たちに追いつけなかったのかな、と今更ながら思うのです。

そんな自分の事をどう親に打ち明けていいか分からなかったから、学校での出来事を嘘で取り繕い、毎日ストレスを溜めに溜めていたのかもしれません。

一番辛い思いで毎日を過ごしていたのは間違いなく いゆ太くん。

だけど子どもがストレスを抱えているのが分かっているのに、何をしたらいいのか分からない私も妻も辛かったです。

たまに、絞り出す様に学校での出来事を話す いゆ太くんの言葉を疑って聞いていたり…。

担任の先生からは、支援学級に編入する事も考えてみては、と言われることも時々…。

そしてある日 私は、いゆ太くんにイライラして、彼の目の前で、

「うちの子をスグにでも支援学級に入れてくれ!」

と学校に電話をしてしまいました・・・。

後日、W校長先生と面談することになりました。

いきなり「うちの子を支援学級に入れてください」なんて言ってみても無理な話ですし、事情を尋ねられますよね。

W校長先生に、ここ数ヶ月の出来事をお話しさせていただきました。

W校長先生との面談はかなりスムーズにいった記憶があります。

というのも、

実はW校長先生は、東京都北区での発達障害児童の教育の機関でもお仕事をされていた様でして、3年前の入学前検診での私との面談のことも覚えていたのでした。

また前年の、いゆ太くんが小2の年に私はPTA広報委員会委員長として活動していた折、W校長先生からとても協力的にサポートして頂けて、信頼できる方と感じてもいました。

PTA活動やっておいてよかった、と思ったことの一つですね、これは。

この面談を踏まえて、学校内会議に諮られることになる様です。

! 学校内会議って?

学校内会議って何?、そして知能検査へ

学校内会議なんて記憶が全くないよ~。

当然ですね。

保護者は参加していませんから。

ここからは一般的な流れを知らないとお話を進めにくい為、

当時から住んでいる東京都北区のホームページの就学相談に関するページを閲覧したり、就学相談室へ電話で問い合わせてお話を伺ったりしました。

東京都北区HPの就学相談のページ

通常学級から支援学級へ編入する、一般的な流れとして、(東京都北区の場合ですね)

1.保護者と担任の先生、校長先生とで面談

2.面談の内容を踏まえて学校内の関係者、校内委員会で話し合い。

(どんな方々が話し合われるのか知らされません)

3.協議の結果が保護者に伝えられる。

「転入が望ましい」との結論が提示された場合、

4.学校側ではなく、保護者が就学相談室へ電話で相談の申し込みをする。

 就学相談室を訪ねる日時を決めて、当日 親子面談と児童の行動の観察が行われる。

 保護者は、これまでの子供の状況や、子供の就学についての思いや意向について訪ねられます。

 子供の行動観察は、遊んでいる様子や何気ない様子などを見ます。

 (おもちゃや遊具、本やボールなどが置かれた部屋に通された記憶があります)

 

ここまでのことを踏まえた上で後日、

5.就学相談室で知能検査をします。

6.特別支援学級の見学と体験

7.就学支援委員会の話し合い

 教育、医学、心理学等の専門家による検討。(保護者や児童は参加しませんし、できません)

8.判断結果が保護者に連絡され、就学先を決める

特別支援学級について、いゆ太くんとしっかり向かい合って、話をした記憶が曖昧なのですが、

本人に話しをしないで事を進めるはずはないでしょう。

いゆ太くんは支援学級に行きたがっていたのかよくわかりません、自分の心境をちゃんと話せる概念が備わっている歳ではないでしょうから。

でも今居る場所が居心地の良いところではないのは確かだと感じます。

支援学級が、その居心地の悪い場所から抜け出せるきっかけになれば、くらいには考えていた様には見えました。

学童保育を利用していた期間がありまして、

そこで特別支援学級に登校している男の子ふたりと仲良くしていました。

知能検査を頑張れば、苦しまないで済む場所に行ける!、

単純にそう思っていたのだろうと想像します。

就学相談室で知能検査

知能検査を行う日がきました。

いゆ太くんが知能検査を受けた頃と現在では就学相談室の所在地は変わってしまいましたが、以前も現在も元学校の校舎が使われてます。

以前は学校だった建物が別のことに使われている風景に面白い違和感を感じます。

到着して検査前に面談室で短めの面談をした記憶があります。

検査直前に改めて、私たち家族の考えや思いを確認されたのかな。

そして、いゆ太くんは面談の人と知能検査のため別室に移動して、保護者は終了までこの部屋で待ちます。

何時間待ったのかな、実際は1時間から1時間半くらいの様ですが、待っている間、ぽやーっと考えていたのが、

いゆ太くんが穏やかに毎日を過ごせることが一番だから、彼が支援学級に行って朗らかに過ごせるならば、今日の検査が、そういう結果で終わってほしいし、

支援学級に編入できたなら、そこが居心地の良い場所であって欲しいです。

一方で「自分たち夫婦の子供が発達障害者ということになるのか」と少し複雑な気持ちにもなります。

正直な気持ち、この頃は少しばかり発達障害者を誤解をしていたのでしょう。

何が原因でそうなってしまったのか?、障害は先天的なもの なのか、親の接し方に問題があっての後天的な理由があるのでしょうか?…

発達障害と判定されたら いゆ太くんはもう”普通”の青春や人生と縁の無い生涯になってしまうのでしょうか

などと取り止めもなく考えながら過ごしていました。

兎に角、いゆ太くんからは、知能検査は頑張らなきゃならないテストだと思っている様子を感じます、きっと今頑張っているはずです・・・ん?

ちょっと待って!

この知能検査って頑張っちゃまずいのではないか?。

頑張って悪くない成績だったら、

「通常学級でやっていけますよ」

なんて事にならないか?。

色々な気持ちでドキドキしてきました。

(ちなみに、検査はどんなことをするのか分からないです。)

さて、知能検査を終えて、いゆ太くんが引率されて戻ってきました。

「いやー、いゆ太くん すごく真剣で頑張りましたよ」

と引率の方が言います。

・・・やっぱり

あのー、この知能検査って頑張っちゃ まずいのでは?

「まぁそうですねぇ、でも多分大丈夫だと思いますよ」

・・・

後日、結果報告を兼ねた面談の為、また就学相談室へ。

結果は「ギリギリで支援学級に”行ける”」と判断されたようです。

ちょっとだけ複雑な気持ちを孕みつつも安堵しました。(安堵していいのか)

保護者として、特別支援学級を希望するかどうか心情を確認される話しをされた記憶があります。

特別支援学級へ

お話は前後しますが、発達検査等の判断結果が連絡される前に、

支援学級への編入を前提に、特別支援学級の授業の見学にいきます。

当時いゆ太くんが通っていた小学校は、その校舎内に支援学級の教室が設置されていたので気付きませんでしたけれど、

通常学級と支援学級は「別の学校」ということになるそうです。

なので、特別支援学級の教室見学は、

「転校を希望する学校の見学」、ということになるのですね。

特別支援学級の所在地がいつも通学する小学校内に在って、仲良しの知っている子が在籍してる教室。

環境を変えたいといっても100%全てが変わってしまうわけではないのは、いゆ太くんの性格を思えば都合はいいかもしれません。

記憶に間違いがなければ、授業見学は短い時間ではありますが、ちょっとだけ、在籍してる子たちと机を並べて授業体験をした気がします。

実際そういう流れの様です。

知能検査等の判断結果は在籍している小学校の方に就学相談室の方から報告されるそうです。

私たち親子がこちらの支援学級に転校を希望すれば手続きが始まり、転校となります。

支援学級は生徒の人数は多くないので、先生の目も通常学級より行き届いている感じです。

一年生から三年生が一緒の、四年生から六年生が一緒の教室に分かれていて、

勉強は別々に授業を行なっていたのかな。

時には全学年で一つの授業を行ったり、

時には各学年別に、通常学級の子達と合同で授業が行われていました。

通常学級との合同授業は、おそらくは交流の意味合いもあるのでしょうけど、人数が圧倒的に少ない特別支援学級の子たちからしたら、ちょっとアウェーな、居心地の悪い気持ちは拭えないかもしれませんね。

クラスの在籍生徒全員が仲が良く、

といっても、相手に対して、意見が合わないとか、ちょっと気に入らない気分になるとか、「普通の人」にもある感情のぶつかりはここでもありますよね。

だけど、相手のことを思いやれる 優しい子たちです、と支援学級の先生方からは伺いました。

相手のことを思いやれる気持ちは、子供たちが自身の経験から発せられた気持ちでもあるのでしょうかね。

いゆ太くんのように、通常学級から移ってくる児童は珍しいことではないようです。

実際、いゆ太くんの後に通常学級から移ってきた子も何人かいたようです。

夏休みに入る本当に直前に手続きが終わり、9月から特別支援学級 4組(この小学校では、「4組」が特別支援学級のクラス名です。通常学級の大体の学年で3クラスだったからでしょうか)の生徒として いゆ太くんの小学校生活がリスタートしました。

勉強について、あまり心配はしませんでした。

例えば国語や算数についても基礎的なことを中心に勉強していたように記憶してますが、そのあたりがちゃんと理解できていれば問題ないのではと僕個人は思ってます。

感性やソーシャル面を養う授業が豊富だった印象があります。

いゆ太くんは伸び伸びと毎日を送れている感じで、表情にも明るさが戻ってきたのは明らかでした。

状況が変化して いゆ太くん自身が通常学級でも大丈夫、となれば また通常学級に戻ることも出来ると聞いています。

でも、あり得ないだろうな・・・と感じました。

実際その通りでした。

でもそのことについて複雑な気持ちになることは、今はありません。

いゆ太くんの性格や特性が、人が多過ぎる集団の中では健やかに生きていけなかった。

そう考えればこれが自然なことのように思えるのです。

こうして、小学校を卒業まで、その後進学する中学校の3年間も特別支援学級で過ごし、

さらにそこから、高校は支援系の学校を受験して合格。現在(2021年)にいたります。

勉強を頑張って、入学試験を合格。決して楽して突破できることではないことを、彼の受験勉強を見守ってくれた方々がお話ししてくれました。

親バカでしょうけど、いゆ太くんは私たち家族の誇りです。

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