古代ローマ時代にもポルノ小説があったのですね。
1~2世紀頃、とある裕福なローマ市民男性の、妻と二人の奴○女性との日常を綴った日記の様なハーレム小説です。
ポルノ小説のストーリーは、あくまで男性側に都合の良いファンタジーです。
この物語は現代の倫理観では到底許されない内容を含んでます。
肯定できる内容ではありません。
あくまでフィクションです。
あくまでエロティックなエンタメ小説として解釈して下さい。
物語と登場する3人の娘
葡萄畑を経営する大地主、トゥリヌスが一人の少女奴○を買わされるところから物語が始まります。
「旦那が買わないなら目を潰して、放り出して物乞いをさせるまでさ」と奴○商人に言われて引き受けることにするのですが、
少女との性行を好む旦那にしても、この訳あり少女は少々若すぎると考えているのです。
それに加えて
この旦那さんは歳の離れた妻の他に、伽をさせている奴○少女を所有しています。
まだ夫との間に子供を授かれてない妻と、ご主人様との関係は奥さまよりも長いことを自負する”先輩”愛玩少女にしてみれば、新たな愛玩少女の登場は心穏やかな出来事では無いのでしょう。
旦那にとっても家内の二人の女性たちに対して少々気恥ずかしい後ろめたさを感じているようで、女二人に何気にやり込められたりします。
家父長の威厳を保ちつつも時折、家内の女性たち(一人は奴隷)にやり込まれぎみな状況になってしまう旦那さんの様子がおかしかったりします。
この旦那さんの描写でもう一つ印象に残るシチュエーションは、死を、死をもたらす死神を恐れていることです。
医療が発達してないうえに、医者の地位が低いこの時代は、男女問わず平均寿命が短いようです。
裕福であっても死は避けられません。
生(性)と死は表裏一体、だから命有る限り思い通りに生きるんだ、と怖気をふるうように性行に励むのでしょうか。
キャラクター紹介
エゲリア
トゥリヌスがカデス(現在のスペイン・カディス)で買った愛玩奴隷。
踊りが得意でトゥリヌスがビジネスを兼ねた宴会などで舞踊を披露します。
ご主人様が結婚する以前から可愛がられているという自尊心から、ユリアに張り合い、嫉妬心の様な想いを隠しません。
ユリア
トゥリヌスの歳の離れた少女妻。
由緒ある家柄の出身ですが性行為については奴隷と同じように扱われることを望み、喜んでます。(トゥリヌスからそんな風に調教されてしまったみたいですね)
子宝になかなか恵まれないので、奴隷娘に先を越されないか気を揉む日々です。
アルミニア
トイトブルク(現在のドイツ)から母親と一緒に連れてこられた少女。
その母親から虐待を受けていた為に年上の女性が死ぬほど大嫌いです。
そのことが何処へも売りに出せずにいる厄介な原因と考える奴隷商人が、馴染み客のトゥリヌスを頼るように話を持ちかけたことがこのポルノ小説の始まりとなります。
この物語の真の主人公は”新米少女”?
この物語は旦那さんであるトゥリヌスの一人称で語られているのですが、もしかしたら主人公はアルミニアなのかなぁと感じてしまいます。
トゥリヌスがアルミニアを買った事から このお話はスタートします。
裕福な男が仕事をしたり家族や奴隷たちや友人、知人(解放奴隷も含む)との交流といった、特に山場といえるシチュエーションのないストーリーが綴られる中で、合間々に愛玩セックスのシーンがかかれるのですが、
キャラクターの特製(設定)が一番物語と絡んでいるのがアルミニアの様に感じるのです。
折に触れて、愛撫から始まって性行為好きの女に徐々に調教されていく様子は、すでにエゲリアとユリアに施された行為を”新米少女”を通じて描写しているのでしょう。
山場のない物語といいましたが、唯一山場っぽいシチュエーションがありまして、
そこもこの少女が過去に受けた体験、母親からの虐待に根差す思考に基付いた行動する出来事として描かれているのです。
その山場っぽいシチュエーションに至る前にも、一つ伏線も描かれてました。
稚拙な民主主義の考えはあったとしても、人権意識のない時代ですから、奴隷の身に堕ちることは、人生を他人に家畜や道具として支配される地獄の日々でしょう。
そうでなければスパルタカスは自由を勝ち取る為に反乱を起こしたりしないでしょう。
でもこのお話は家父長と3人の娘たちは、望んで”一つの家族になりました”的に描かれてる様にも見え、奴隷の悲壮感や悲哀を感じさせません。
愛玩系(そんなジャンルがあるのかな?)のお話として個人的には楽しめましたけど、
本当にすけべ男性の都合の良い理想の世界、ファンタジーですね。
そもそも何の為に書かれたお話なの?
この本の前書きによれば、この物語には祖本が存在してなくて、18世紀頃に作られたラテン語の写本が存在するのみなのだそうです。
なので18世紀頃に書かれた偽書説と、1~2世紀に書かれた祖本を元に18世紀に加筆された説があるそうです。
その今となっては存在しない祖本が本当に古代ローマ時代(大雑把な括りですみません)に作成されたとしたら、そもそも何の為に書かれた本なのでしょうかね。
官能小説家のわかつきひかる氏の著書「日曜ポルノ作家のすすめ」(雷鳥社)の中で、
ポルノ小説は男のファンタジー、日常生活では起こり得ないシチュエーションに、綺麗な女性と棚ぼたでセックスできたとか、えっちなわくわく感を提供する娯楽、
明るく楽しく元気の出る”読むドリンク剤”
と記してます。(ついでに、ポルノ小説は文芸でも文学でもないもの、と語ってます)
古代ローマ人もそんな定義でこのハーレム話を記したのでしょうか。
でも、貧困ではないけど、裕福でもない普通の古代ローマのすけべ男性市民にしてみればハーレムの様なシチュエーションなんて自分の人生とは無縁と考えるでしょう。
そう考えるとこれは誰を楽しませる為に書かれたのかな?、思うのです。
著者は個人で楽しむ為に書いたのでしょうか。
18世紀に写本に加筆されたと解説されてますが、その頃の欧州はキリスト教の倫理観に支配されていたから、このハーレム物語は出版したり大っぴらに表に出すことができず、秘匿していた個人が楽しんでいたのでは、と前書き解説で触れてます。
そんなテキストがよくも現代まで存在したものですね。
(部分的に失われた箇所があるそうです)
タイトルと著者
タイトル
ローマ式 奴隷娘たちとの生活(表紙のタイトルは ローマ式 奴隷との生活)
著者 トゥリヌス
翻案 鳥山仁
表紙イラスト・挿絵 大和テクノ
2016年 三和出版 刊