特撮ドラマロケ地として紹介するのは少々微妙(当ブログの記事は概ねそんな感じです、今更、毎度ながら)ですが、渓谷をイメージした雰囲気の良い公園ですね。
音無橋で仮面ライダー電王(第8話・2007年)が撮影された他に、スパイダーマン(東映版 1978年)では公園として整備される以前に撮影されていた様ですね。
訪ねた日:2024年4月10日、23日
写真:えふゆ 無断転載厳禁
記事末に広告あります。
所在地
所在地
〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1
当ブログでは以前、音無橋を記事にしました。
よかったら併せて見て頂けると嬉しいです。
こちらです↓
photograph
順路、駅改札を出て約1分以内
JR王子駅には改札が三つあります。
北口改札を出て左へ行きます。
親水公園口というみたいですね。
駅舎を出ると眼の前に、親水公園の立ち入り禁止エリアを見れます。
公園沿いの通路を歩きます。
柵の向こうから立ち入れるエリアです。
公園の案内図です。
全体図でもあります。大きな公園ではないですね。
明治通りを挟んで飛鳥山公園が隣接します。
公園散策
公園へ降ります。
注意書きならぬ、注意彫り。
中央の凹みは、夏場は濾過した循環水が流れ小川になり、水遊びできます。
利用期間・利用時間等、詳しくは↓
東京都北区 公園サイト「KITA CITY PARK」トップページ
東京都北区の公式サイトはトップページへのリンクを推奨しているのですが、こちらも↓
東京都北区 公園サイト「KITA CITY PARK」令和6年度 水遊びができる公園
春は桜が開花して、秋は紅葉、季節ごとに違う色彩を纏います。
舟串橋というそうです。
昭和33年に起きた「狩野川台風」の時、石神井川は氾濫して、この辺りは2mくらい水没してしまったそうです。
その「狩野川台風」で流されて、廃橋になってしまった橋を復元したそうです。
舟串橋を王子神社の境内と繋がる石段の方から見てます。
奥に見えているのは、明治通りを挟んで飛鳥山公園の北側斜面ですね。
舟串橋の上から王子駅の方を見ます。
音無橋の方を俯瞰します。
護岸右手側には「権現の滝」が”設置”されてるみたいで毎分1トンの水が落ちてるそうですが、えふゆ が来る度に稼働してない様なので気付きませんでした、今回も。
小川と同様、夏場だけなのかな。
手足の洗い場ですね。
水遊びした後は手足をよく洗いましょう、みたいなこと書かれた立て札もありました。
音無橋を見上げます。
音無橋の下で来た方を振り返る。
立ち入れるのは柵の手前までですね。
案内板によれば、右手の小屋が公園管理室とトイレの様です。
公園の案内板によれば、此方は魚道になるのかな、人は入れませんね。
コンクリート壁の向こうに石神井川(音無川)が流れてる様です。
ここで時刻は午後4時になりそうで、親水施設エリアは閉園時間になるので園内から出る様に促されました。
実はこの日は、滝野川八幡神社から色々寄りながら徒歩で来たので、そんな時刻になってたのです。
(駅からの順路は記事的な後付けですね。)
音無橋に上がってみます。
此処までご覧いただきましてありがとうございます。
因みに・・・& 備忘録 & 雑記
多分もう多くの人が知ってるでしょうことなど、とりあえず記しておきます。
音無川って? & 公園の誕生
東京都北区の公園のサイト「KITA CITY PARK」音無親水公園の解説によれば、
石神井川は小平市内を源にして、西東京市を経て、練馬・板橋・北区を流下して隅田川へと流れる川で、北区の辺りでは音無川と呼ばれてるのですね。
戦後経済の復興と発展に伴う生活排水等により川は汚れや、大雨の度に起こる洪水・水害を防ぐために、
明治通りを挟んで隣接する飛鳥山公園の地下に2本のトンネルを整備して、本来うねうねと蛇行していた石神井川の流路をショートカットさせる改修工事が昭和41~43年(1966-68年)に行われたのだそうです。
改修工事は昭和50年代後半で整備を完了したそうです。
4月10日に音無橋上から撮影の写真です。
コンクリート壁のあちら側が、
石神井川(音無川)ですね。
流路の改修工事後、残された旧流路を、渓谷をイメージした音無親水公園として整備したそうです。
(昭和60年着工、63年5月開園)
東京都北区 公園サイト「KITA CITY PARK」音無親水公園
記念碑
音無親水公園は、「日本の都市公園100選」に選定されてます。
都内では他に、国営昭和記念公園、日比谷公園、上野公園、水元公園、代々木公園が選ばれてるそうです。
「日本の都市公園100選」は、公園緑地に対する愛護精神を喚起するため募集した都市公園の中から、景観やデザインや個性などを総合判断して選定したもの、なのだそうです。
明治時代の写真
王子駅舎を出てスグの景色ですね。上の写真は2021年8月に撮影した写真なのですが、
今回(2024年4月)訪ねた時、「対比」して並べたい角度で撮影した写真がなかったので、掲載しました。
写真右にあるビルは王子新扇屋ビルです。有名な卵焼きのお店 扇屋が入ってますね。
で、何と「対比」したかったかといえば・・・。
↓
↓
↓
当ブログの他の記事に添える画像を探していて、NY公共図書館のサイトで気付いた写真なのですが、
「東京の王子茶屋」
というタイトルが付いてたのですね。
(写真はNY公共図書館のサイトからダウンロード、パブリックドメインで使用してますが、NY公共図書館の利用規約に従ってます。)
明治時代に撮影された扇屋さんの写真のようです。
「王子の狐」の舞台にもなり、浮世絵にも描かれた有名なお店ですね。
徳川家光の時代に、農業兼業で始めた掛茶屋として創業(慶安元年1648年)、
151年後の寛政11年(1799年)に料理屋となって、江戸で有名な懐石料理屋の一つとなったのだそうです。
現在は王子新扇屋ビルの一階で、卵焼きのみを製造販売してます。
写真のタイトルには「茶屋」とありますが、撮影された時代(明治)は料理屋さんなのでは。
また、お品物の卵焼きに添えられた”しおり”に記された「沿革」には、
「昭和戦争後に飛鳥山と権現山の谷間流れる音無川を庭園の内におさめ」、現在の店舗に移しました、
と記されてます(写真の楼の対岸が扇屋の庭園なのだそうです)。
現在のビルのある場所とは違うのですかねぇ?。
此処まで見てくださいましてありがとうございます。
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