アルマ&グスタフ・マーラー 我儘小娘と傲慢男の夫婦物語

父の教えに従って、生涯を”恋愛家”として生きた女性の初婚のお話です。

ウィーン俯瞰図版画の写真複製 1870-1900年 アムステルダム国立美術館

我儘娘誕生

カール・モル マスター シントラーの窓 1885年 Albertina,Vienna

1879年ウイーン郊外でアルマは生まれます。

父は高名な風景画家エミール・ヤコブ・シントラー、母は名もなき元歌手アンナ。

デビュー当時は注目される事のなかったエミールは、後援者がついてから売れっ子となり注文が殺到して経済的にも裕福になり、一家は豪奢な暮らしぶりとなります。

アルマが13歳の年、父エミールは家族と旅行中に腸閉塞で亡くなります。

母アンナは、愛人関係である、夫の弟子でアシスタントだったカール・モルと再婚します。

母の再婚について、後に数々の芸術家を食い散らかす様に恋愛や結婚を重ねてゆくアルマですが、思春期のこの時は大いに戸惑い、この「堕落」した軽薄な母を軽蔑していた様です。

義父となるカール・モルは画家としても、画商としてもウィーンの芸術界に無くてはならない人物で、分別のある人物だった様です。

アルマは学校にはほとんど通う事はなかった様ですが、父を通じて多くの芸術家と接するに恵まれた環境だったからでしょうか、芸術的な素地は育まれたみたいですね。

ヴァグナーを暗譜し、そのヴァグナーを美しい声をからして歌い、作曲の勉強に熱中し、多くの本を読破したそうです。

亡くなった父はアルマに 「神様たちと遊びなさい」 と言っていたそうです。

その言葉通りにでしょうか、アルマは ほぼ生涯に亘り、”神より賜った才能を与えられた”芸術家たちとの「遊び」に更けるのです。

17歳の時、画家グスタフ・クリムト(このとき34歳)と出会い熱い恋愛を交しながら、作曲の指導をするツェムリンスキー(23歳)や、著名な法律家で演劇人のブルクハルト(47歳)を挑発的で残酷に弄んだ様です。

クリムト ベートーベン・フリーズ「不貞」のための習作 1901年 Albertina,Vienna

この頃のアルマは自称「キリスト教徒の美しき若い娘」なのだそうです。

自身の処女性を守りつつも、相手によっては「最後の一線」を除けば、抱擁も愛撫もあらゆることを許し、婚約をチラつかせますが、結婚は拒否します。

優しく接したと思えば、冷たく跳ねつけたりと相手を焦らし続けます。

アルマを諦め去ろうとするならば、手綱を引かれる様に連れ戻され、連れ戻されたお気に入りの遊び相手たちに待っているのは、幾ばくかの甘美と焦燥の地獄。

そのくせ、自分に想いを寄せる男に、他の女の存在が少しでも感じられる事は許せない。

自分を愛する権利を与えているのだから、自分が唯一絶対の女でなければならない。

そして自分が与えている以上のものを男たちが差し出すのは当然のこと、と考えていたのでしょうか。

こんな身勝手で傲慢なアルマが、同じく身勝手で傲慢な男に隷属する日々が来るのです。

ほんの僅かの期間ですが・・・。

グスタフ・マーラー、アルマと出会い・・・

ウィーン国立歌劇場外観 1880-98年頃 アムステルダム国立美術館

高名な作曲家で指揮者、小柄で強靭には見えない体躯ながらパワフルな振る舞い。

そして周囲を疲弊させるくらいの神経質。

自分の価値観とそぐわないものは全て無意味な存在とでも定義しているのでしょうか。

グスタフ・マーラーはそんな人物の様です。

ウィーン宮廷オペラ劇場を統治する巨匠、ただアルマはグスタフ・マーラーの作品にはあまり関心はなかったみたいです。

共通の知人が主催する夕食会でグスタフ・マーラーとアルマは知り合います。

クリムトとブルクハルトと楽しげに語り合うアルマ、そこにマーラーが加わります。

会がお開きとなった直後にマーラーとアルマは口論となるのですが、マーラーは何かしらの理由を設けて また会う約束を取り付けようとします。

アルマより20歳も年長の音楽家は恋をしたようです。

その後、と言うより翌日以降、付き添い人がいるものの二人は度々顔を合わせ、マーラーは手紙を送り想いを伝えます。

アルマもマーラーを意識し、葛藤します、他の男たちを手玉に取りながら・・・。

そうしているうちにマーラーが決定的な、とてつもなく超長文な恋文を公演先の外国から送りつけます。

その長文のお仕舞いに記された一文にアルマは衝撃と動揺を受けたそうです。

「アルマ、どうか真面目になっておくれ」。

君が美しいルックスだから男たちは君を ちやほや してるんだよ、君の音楽?、それが何だと言うの?。

アルマの全てを否定するお説教をした挙句、私の為に、私と一体となって私に尽くしなさい、とでも言ってるのでしょう。

この隷属を要求する内容の手紙を見せられた母親のアンナは、当然反発しますが、当のアルマは、マーラーの存在が自分の精神を今よりも高みに引き上げてくれるような、倒錯的な気持ちに酔った様子です。

「彼は私を教育している印象を受ける」。

これまでの男たちとの関係は自分の浅はかを増長させるだけだ、と・・・。

アルマはマーラーからの求婚を受け入れるのです。

1902年3月結婚。

ふたりの性

この二人、グスタフとアルマはそれぞれが関心を寄せ、崇拝する対象も異なり、相手の歓心ごとには無関心であるようです。

性生活もまた・・・。

アルマがこの傲慢な男を伴侶に選んだのは、もしかすると「規律と教育」を求めたからでしょうか。

セックスにおいても服従を強いる男をマーラーに期待していたとするならば欲求を満たしては貰えなかったと感じます。

アルマは当初、マーラーはセックスについては弱気で経験不足と思い込んでいたようですが、マーラーは持病(痔)と少年時代の性的トラウマを抱えていたようで、そのあたりは伴侶として期待外れだった?・・・。

苦痛と葛藤の夫婦生活

エミール・オルリック グスタフ・マーラーの肖像 1902年 
アムステルダム国立美術館

マーラーは経済的観念のない浪費家のようですね。

夏に過ごす為の別宅を購入したり、高級店で仕立てたもので身を飾ったりします、巨匠ですから。

音楽家として収入が無いわけではありませんが負債もあります。

これまで何不自由なく生きてきたアルマですが、夫の仕事以外の気苦労をどうにかするのが自分の役目だと考えるのです。

自分自信には、あらゆることを禁じて。

夫婦の日常は規律的で、全てがマーラーの決めた規則正しい流れに妻と下女が従う日常だったそうです。

散歩の時間には妊娠していようがいまいが供をしなければならない。

マーラーの仕事が終わる頃には必ず職場へ迎えに行かなければならない。

公演でウイーンを離れる時も同行しなければならない。

夏、別荘で過ごす時は、マーラーが仕事部屋に篭れば完全な静寂を保つために、犬を外に出さないように近所にお願いに回るアルマ。

夫に従い、夫の望む様に振る舞うのが自分の使命。

だけど・・・

今の私は家政婦とかわらないじゃない!、元いたところに帰りたい!。

アルマはこの気持ちを訴えます。

マーラーはそんな愛妻の気持ちを気にかけ、色々考えを巡らすものの現実的にどれほど理解していたかはわかりかねます。

間もなくアルマは出産します。

マリア-愛称プッツィが誕生します。

マーラーは子の誕生を大変喜び、しかしアルマは子に対する母性が目覚めることは希薄の様です。

彼女の一番の関心事はやはり自分自身が奔放に生きて行けるかどうかといったところでしょうか。

アルマはマーラーの檻から徐々に飛び立っていきます。

きっかけは

アルマに弄ばれた音楽家ツェムリンスキーと仲間の音楽家が、「音楽の分離派」グループの結成を決意し、マーラーに名誉会長就任を依頼する為会いにきます。

音楽家たちが度々マーラー家を訪ねて来る様になれば、マーラーはアルマに強制していた"孤独の檻"に閉じ込め続けることが出来なくなります。

こうしてアルマは、”元いた場所”へと少しずつ戻っていくのです。

それはマーラーにとっては「誰にも触れさせはしない、一体化した自分の存在の一部」が崩壊していく様なものだったのではないでしょうか。

愛娘プッツィが4歳で亡くなります。

マーラーも医師に激しい肉体的活動を止め養生するように言われ、このあたりから専横的性格や振る舞いが、徐々に小さくなって行きます。

その一方でアルマは、このエゴイストの夫に従いながらも、結婚前と変わらない自由、自分を求める男との色恋沙汰の刺激に身を投じて行くのです。少しずつ・・・。

新たなるエロスとの出会いが主従関係を逆転させる

アルマを縛るマーラーの呪縛が緩み出せば、アルマはまた男たちが群がってくるように振る舞うでしょう。

マーラーと別行動で湯治に訪れた地で、ブロンドの髪の若いドイツ人と出会うのです。

ヴァルター・グロピウス 建築家、この時27歳。

後にバウハウスを創立する人物ですね。

湯治の地でのエロチックな日々を過ごし、マーラーのもとに戻ってからも手紙のやり取りは続きます。

そして何を思ったか年下の愛人は彼女の夫に、思いの丈を綴った手紙を送りつけちゃったそうです。

マーラーに説明を求められたアルマは、若いドイツ人との出会いと夫への裏切りを打ち明けます。

夫という立場でアルマを支配し服従させてきたマーラーの衝撃は計り知れませんね。

さらに、間も無くグロピウスは夫婦のもとを訪れます。

「君の好きなようにしていいんだよ」マーラーはアルマに言います。

アルマはマーラーと別れるつもりはありません。なぜ?

マーラーは本当にアルマを愛していたのです。

自分よりずっと若い男に抱かれた美しい妻、動揺、屈辱、そしてそんな妻を失う恐怖・・・。

フェルディナンド・シュムツァー ジークムント・フロイトの肖像 
アムステルダム国立美術館

マーラーは精神科医フロイトの診察を受けに行き、何かとアルマに譲歩するようになるのです。

目に見えて精神的に衰弱するマーラーはアルマを失えばきっと死んでしまうでしょう。

それに今やアルマは この哀れな、妻に恋する下僕を支配する立場です。

そんな立場を楽しみながらグロピウスとの関係を続けるのです。

間も無くマーラーは病気になり、ほとんどベッドから出ることのできない身体となります。

3ヶ月後・・・

マーラーの最後

マーラーの病気は連鎖状球菌による心内膜炎。

それは苦痛に満ちた終わりの始まり。

アルマは母親と共に付きっきりでマーラーの看病をします。

その間もグロピウスとの文通を止めることはなかったみたいで、夫の容態を逐次知らせながら、

「あなたに会いたい」等、扇情的な文章の手紙をやり取りしていたそうです。

1911年5月18日

グスタフ・マーラーは苦しみの果て息を引き取ります。 享年51

愛人とのエロチシズムな手紙のやり取りはしていたものの、マーラー最後の3ヶ月をアルマは疲弊するほど懸命に看病したようです。

マーラーの亡くなった直後のアルマはかなり衰弱し 病院へ入れられ、夫の葬儀には参列できなかったようです。

「母なる者」を望んだ男と、「父なる者」を望んだ女

ミューダーベルクのグスタフ・マーラー 1906年 アムステルダム国立美術館

マーラーは生前フロイトの診察を受けています。

マーラーから聞かされた話を元に、フロイトが導き出された精神分析によれば、

マーラーの父親は相当乱暴な男で、常に妻に暴力を振るいぞんざいに扱っていたようです。

そんな母親は苦しみ、やつれていた。

それでマーラーは自分の妻にも、そうあって欲しいと思っていると・・・。(?、そういう結論になるんだ)

一方でアルマも、敬愛の念を抱く父エミールのような男を欲しているのではないかと結論付けています。

この分析結果をマーラーから聞かされたアルマは合点がいったそうです。

アルマが出会った頃のマーラーは、背は高くなく痩せていたけれど、頭がよく、崇高な精神の持ち主、という印象を持ったようです。

それは大好きだった父の面影と重なって見えたのだそうです。

アルマについて、こちらが後日譚です

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