モーリス・ユトリロ 飲んだくれが売れっ子画家になる

画家モーリス・ユトリロは私生児。

母シュザンヌ・ヴァラドンも私生児で、画家。

母と息子が違うのは、母シュザンヌは家族を見捨ててでも、貪欲に欲しいものを、むしり取ろうとする野獣のごとき女。

その性格が人生を彩る出会いをもたらします。

一方息子は、母の愛情に欲せなない幼少期から孤独を拭えないまま、飲酒と人々のエゴに翻弄される人生。

良き出会いに恵まれたなら、きっと違う人生もあった筈と思わずにはいられないです。

でもまぁ、そうであったなら絵描きになっていたかどうかも分かりませんが。

サクレ・クール寺院 Pixabayからの画像

  • ユトリロ作品のパブリックドメインの画像を見つけられない為、当記事にユトリロ作品の画像はありません。

育児放棄された幼子

少年 祖母 足を拭く
シュザンヌ・ヴァラドン 裸の少年を拭く女 1892年 Albertina,Vienna  おそらくマドレーヌとモーリス

モーリス・ユトリロ   1883年12月26日モンマルトルに生まれる。

母はマリ、後にシュザンヌを名乗る少女はこの時18歳。

多くの画家に請われた人気モデル、シャバンヌやルノワールなど巨匠たちにとっては愛人も兼業していたとか。

モーリスが2歳のころ、マリはロートレックと関係を持ちます。

マリにシュザンヌの名を与えたのがロートレックなのだとか。

そのロートレックがマリのデッサンの才能に気付き、ドガに紹介したことで、ドガの弟子となります。

子育てなんてNo眼中な多忙な日々ですね。

まもなくロートレックと破局するシュザンヌですが、音楽家エリック・サティとの半年の愛人関係を経て、サティの友人、お金持ちのムジスに乗り換え結婚に至ります。

経済的に何の心配もなくなったシュザンヌ。

「ママンの側に居たいよ」と訴える幼子の育児をおばあちゃんに押し付け、画家修行に専念します。

8歳のとき、かつてシュザンヌと関係を持ったスペイン人ジャーナリストのミゲル・ユトリロがモーリスを自身の子であると認知したことでユトリロ姓となるのですが、幼いモーリスは母に捨てられたような気持ちだったでしょうね。

「ママンと同じヴァラドンじゃダメなの?」

ムジスが結婚の条件として連子の出自をハッキリさせてほしいと言ったとか。

後にシュザンヌが語ったところでは、モーリスの父親はミゲルではないそうです。

ミゲルは、かつての愛人に対して狭義心を見せつけたようですが、母親をはじめ自身の都合と世間体しか考えない大人たちは、幼いモーリスの心情には頓着した様子はないみたいですね。

アルコール中毒の少年

デッサン 背中を拭く 少年
シュザンヌ・ヴァラドン ユトリロ 1896年 Albertina,Vienna

義父が購入したパリ郊外の別宅に祖母と共に追いやられるモーリス。

その土地の学校に通うのですが、孤独感でいっぱいの少年は周囲から孤立し、いじめられます。

その後パリ市内の中学校に進学。

自宅のある郊外の駅からパリ市内の中学校の最寄り駅まで汽車で20分弱、そこから徒歩での通学でした。

退屈で孤独な郊外の田舎の様な街と比べればパリ市内は魅惑に満ちた街でしょうね。

孤独感に苛まれる少年を不良に変えるにはもってこいの舞台です。

ビストロやカフェに寄り酒の味を覚えます。

悪い大人たちにも煽られたでしょうね。

(フランス人は子供でも普通に飲酒するよ、なんて聞かされたことあるのですが本当でしょうか)

断ち切ることの出来なかった飲酒と孤独感と人々のからかいに苛まれる人生が始まってしまいます。

ユトリロこの時13歳、母シュザンヌの同じ歳の時は職を転々としながらデッサンに目覚めた頃でした。

人生の良き導き手との出会いの無さを不幸と言ってしまっては、大抵の人はそういうものかも知れません。

でももし愛情を注いでくれる父や母がいてくれたならば、もっと自己肯定感を持って成人になっていたのでは。

ユトリロの人生を俯瞰してみると、母の愛情を待ち続けたまま身体だけが成長した幼子の様に感じられます。

満たされない思いが酒を求め、奇行を行うのは、泣くことでしか気持ちの表現手段を持ち得ない赤子みたいです。

成績はけして悪くはなかったそうですが中学校を中退します。

義父のつてで、銀行などに就職するものの、何処へ務めても問題を起こして退職を繰り返し、アル中患者として入院します。

”シュザンヌ絵画教室”

テルトル広場 Pixabayからの画像

アルコール中毒の対処療法として絵を描かせてみてはどうか、医師に提案された母シュザンヌは早速息子に絵筆を持たせます。

言付けられるまま不承云々描き始めた絵やデッサンも、次第に自ら進んで描く様になっていった様です。

絵を描き出して1年弱の間に描かれた油彩画やデッサンは150点に及んだそうですが、相変わらず呑んだくれのままでした。

奇行は治らず、喧嘩沙汰、酔い潰れは日常茶飯。

そんなわけで、屋外で絵を描いていれば、からかわれ、石を投げつけられたり、イーゼルを蹴飛ばされたりの嫌がらせを受けることも。

居酒屋で飲み代として描いた絵を差し出していたユトリロなのですが、モンマルトルで少しずつ、安価ですが絵が売れる様になってきました。

こうなるとユトリロから絵をせしめて骨董屋に持ち込んで小銭を儲けようとする輩が後を立たなくなったそうですが、おそらく芸術的価値観を持ってユトリロの作品を観ていた人は、この時点ではまずいなかったでしょうね。

母は息子の友達と不倫、同棲、結婚

傘 ルノワール シュザンヌ・ヴァラドン
ルノワール 傘 1881-86年 
ロンドン・ナショナルギャラリー  
手前の女性のモデルがシュザンヌ。ルノワールの目を通すと野獣も清楚に見えるみたい。

シュザンヌはムジスと結婚してからは、かつての阿婆擦れな行動が形を潜めて、ドガ の元で画家修行に明け暮る堅気な日々を過ごしていた様です。

でも息子の3歳年下の友人アンドレ・ユテルと出会ってエロスの火が灯ってしまい不倫します。

激怒したムジスから手荒い三下り半をくらいます。

嗚呼、ママンはせっかく義父と別れたというのに、ママンの愛に欲するのが自分ではなく友人だなんて・・・。

間も無く、第一次世界大戦が勃発します。

同棲を始めているシュザンヌとユテルは、ユテルが兵役に着いて、一度シュザンヌの元に帰ってきた折に結婚します。

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