

東京都中央区日本橋の人形町を散策しました折、
名物人形焼本舗 板倉屋さんの「工房」(人形焼を焼いている「焼き場」。餡や生地を仕込んでいる厨房ではありませんね)を見せていただきました。
訪ねた日:2025年4月16日
写真:えふゆ 無断転載厳禁

当サイトでは以前、「全領域異常解決室」(2024年・第4話)の撮影された街として人形町通りを歩いたことがあります。
今回はいくつか寄ってみたかった和スイーツ・和菓子のお店を訪ねてみようと思いまして、気になった和菓子のひとつが人形焼。
子供の頃以来久しく口にしてなかったぁ、というのもありますけど、
人形町で人形焼って名称からして発祥地なんですかねぇ。
(ちなみに子供の頃の人形焼体験の地は南千住でした。)
記事末に広告あります。
所在地と概要を知る
所在地
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2丁目4-2
板倉屋さんは人形町通り沿いの、人形町通りと甘酒横丁の通りが交差する付近ですね。
地下鉄日比谷線人形町駅のA2出入り口の斜め向かいです。

概要を知るサイト
人形町と板倉屋さんについての情報はこちらのサイトをご覧ください。
宜しければ当サイト内の記事もご覧いただければ嬉しく思います。
お品物
今回購入できた商品は、

人形焼(買ったのは5個入り)、堅焼みそ煎餅、絹巻(砂糖芯巻・煎餅)
訪ねた当日に購入した商品です。
タイミングもあるのかな、購入した商品はどれも美味しかったので色々試したいけど。

名物人形焼です。カステラの生地で餡を包んだお馴染みのお菓子。
しっかりカステラ感も感じられて個人的にはとても好みです。
創業当時から100年変わらない手焼きの製法。
カステラ生地のみの餡無し(商品名は戦時焼)は事情により今は販売を中断されているそうです。
近日中には再開する予定だそうです。
また訪ねなければ。

堅焼みそ煎餅。
材料に味噌を使っているならば「お食事系」の味(どんな表現だよ)がするのかなと思いいましたけど、優しい感じの甘さで個人的には好みですね。
板倉屋さんの堅焼煎餅は日によって使う食材が変わる(小麦粉・砂糖・卵 以外の食材)と聞いてます。他の食材の煎餅も食べてみたいですね。

絹巻(砂糖芯巻・煎餅)
砂糖(原材料名には水飴も記されてますね)を棒状に固めたものを巻いてますね。
和菓子によくある感じの、ちょっと強めの甘さを「微か」に感じます。
堅焼煎餅より硬いかも。
photograph 名物人形焼本舗 板倉屋(で、社会科見学?)

「店内の写真を撮ってもいいですか」と聞きましたらば、OKをいただいただけでなく、人形焼を焼いている処を見せていただけることに。
お声かけいただいた方は板倉屋店主(三代目)さま でした。ありがとうございます。

カーテンと大きなガラス窓で仕切られた売り場の隣のスペースが、「焼き場」ですか。


和のクリエイティブ感ある、「工房」でした。この雰囲気いいですね。
作業されておられた方は板倉屋四代目さま。
「歌舞伎と縁のある街・人形町」の雰囲気を感じさせるイケメン(男前とか二枚目って言い方の方がいいのかな)。
(けど、顔面も個人情報なので隠しますね。)

焼き型が壁にいっぱい。


煎餅用の焼印だそうです。種類が豊富ですね。

カステラ生地と餡を型に入れる手元を見学します。

ハケで型の窪みを払い、

生地を入れ、

餡を載せ、

餡の上に生地を被せます。生地たっぷりですね。

焼くこと約3分

100年以上変わらない手焼きの製法。
板倉屋さんでは1日約1000〜1200個製造するそうです。
型の重さは3kg、1日大体6時間くらい製造されているそうです。

戦時焼(餡無し)用の焼き型。1個のサイズはそんなに小さくなさそう。販売再開が楽しみです。

餡無しカステラの商品名が戦時焼というのは、日露戦争(1904〜1905年・明治37〜38年)の戦勝記念的な処から命名されたとか。
人形焼の誕生も、その辺りの時代なのでしょうね。

持たせていただきました。約3.5kgの重量は中々の重さです。

ほんの少し冷ました”焼きたて”の人形焼です。焼き上がったばかりのものは火傷しそうに熱いとか。
平らな下面は”するっと”柔らかく、凹凸のある上面はカリカリとした食感でした。こんな機会でないと感じられない食感ですね。
冷やしたり、凍らせて ちょっと解凍させてからとか、逆に少しだけ温めてみたりとか食べ方は色々、と教えていただきました。色々試してみるのもいいですね。
ここまでご覧くださいまして ありがとうございます。
発祥の地の元祖人形焼

お店の前の通りは、ドラマ「全領域異常解決室」(2024年・第4話)で開店前と思える時間帯に撮影された場面がありましたね。
降ろされているシャッターには大きく満面笑顔の布袋さまが描かれてました。当然ながら営業時間の前後に訪れないと布袋さまは見れませんね。と思ったら、

こんな処にも神さま。描かれてました。
さて、
板倉屋さんの創業が何時からなのかはお店の公式サイトには記されてないのですけど乾物を扱う商いから始まったそうですね。(他サイトには創業は明治40年(1907年)と記されている記事を幾つか確認してます)
歌舞伎の興業で栄えた人形町界隈ですけど、歌舞伎よりも安価エンタメとして人形芝居や薩摩浄瑠璃が庶民の間で人気な街(町、かな)でもあり、人形に携わる職人が多く住んでいたとか。
それが町名の由来になったとか。
そんな人形町の名物になる商品開発目指し、板倉屋初代店主と、全国を回って修行を積んだ焼き菓子専門職人が生み出したのが町名の由来となる人形を模した焼き菓子、人形焼だったと板倉屋公式サイトには記されてますね。
ということは、やっぱり人形焼の発祥の地は人形町で、板倉屋さんが元祖という解釈でいいのでしょうか。
板倉屋様、当記事作成にあたって、お話も伺わせていただきまして、ありがとうございます。
此処まで見ていただきまして、ありがとうございます。
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あっぺんでっくす、な 締め
当記事は此処で締めと致しますけど、

多くの方がご存じと思いますが、人形町にはもう1軒人形焼のお店、重盛永信堂「重盛の人形焼」がありますね。(板倉屋さんと並び「人形焼二大巨頭」と呼ばれてるとか)
他にも訪れたいお店や再訪したいお店、水天宮はじめとする神社など、「何度も訪ねる理由」を探す必要はない街ですね。
板倉屋さんの戦時焼だってまだ食べてないですから。


最後までご覧くださいまして、ありがとうございます。
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