

東京都北区志茂の
旧岩淵水門を再訪しました、ちょびっとの お花見を兼ねまして。
訪ねた日:2025年4月4日
写真:えふゆ 無断転載厳禁

当サイトで1番最初の散策記事で訪ねたスポットなのですね。
記事中に広告あります。
新河岸川沿いを歩いて

JR北赤羽駅で降りて、新河岸川沿いを(また)旧岩淵水門まで歩いて行きました。
旧岩淵水門&岩淵水門は仮面ライダー、戦隊両シリーズで度々撮影された処ですけど、新河岸川沿いには他にも特撮スポットがありますね。

白いウォールの内側は赤羽カースチールという会社の敷地です。
赤羽カースチールの敷地内では歴代の数々の平成仮面ライダー&ガッチャードやドンブラザーズが撮影されてますね。
(立ち入れません)
新河岸川に跨る橋は、

「中の橋」です。
一番記憶に新しいところでは、仮面ライダーガッチャード(第19話、2024年)で撮影されましたね。

JRの高架をくぐるとお花見処「北区立荒川赤羽桜堤緑地」
芝桜と桜が一緒に楽しめます。
とは言え、こうして観ると訪ねた日は満開ではなさそう

東京都北区観光ホームページによれば、ソメイヨシノが108本植えられてるそうです。
新荒川大橋の方へ歩きます。

新荒川大橋から見てます、岩淵水門ズ。
所在地と概要

所在地
〒115-0042 東京都北区志茂5丁目41
概要

写真の解説板と他の説明によります、
荒川下流部は昔は隅田川部分を流れていましたが、川幅狭く堤防も低いため、大雨・台風のたびに水害が起こりました。
1910年(明治43年)の洪水をきっかけに、1911年(明治44年)から1930年(昭和5年)にかけて、人工的に幅の広い川、放水路を造りそちらに大水を流す様にしました。その放水路が現在の荒川(荒川放水路)ですね。
そんな荒川と隅田川の分岐地点に作られたのが旧岩淵水門です。
工事期間は1916年(大正5年)から1924年(大正13年)
その当時としては珍しい鉄筋コンクリートの河川構造物で、これ以降造られる水門の手本となるそうです。

1947年(昭和22年)のカスリーン台風、1958年(昭和33年)の狩野川台風の際の大出水で威力を発揮しました。
昭和20年代後半の東京東部一帯の大規模地盤沈下に伴い、門扉の継ぎ足しや遠隔操作施設の設置などの改良・改築工事が行われますが、
1973年の計画水位の見直しにより、水門の高さ不足と安全性の低下から、1982年(昭和57年)に完成した青い水門にその役目を譲ります。
旧岩淵水門は歴史的価値も認められいて、「北区景観百選」「東京都選定歴史的建造物」「日本近代土木遺産」、経済産業省「近代化産業遺産」に認定されています。
photograph 岩淵旧水門

新荒川大橋を背にして「北区立荒川赤羽桜堤緑地」を見てます。
新荒川大橋の下をくぐります。

ちなみに新荒川大橋上から見た旧水門と水門です。






此処から降りて赤水門に近付いて、

行けなかった。もうちょっと折り返しながら降りて行って、

水面に張り出した通路へ。
「荒川岩淵関緑地ボードウォーク」というそうですね。
川に張り出した通路から旧水門を観る


昭和30年代の改修工事の時に赤く塗り替えられたそうです。



これは、

「攝政宮殿下御野点之跡」
1924年(大正13年)10月、攝政宮殿下(のちの昭和天皇)が此処から水門を視察されたそうです。

そばの階段を登っての景色


そこで右手側を見ると現役の青水門へ続く道

中洲の方へ行ってみましょう。
中洲へ




先ほど歩いて来たデッキ






中洲には「荒川赤水門緑地(中之島)」というそうですね。



荒川リバーアートコンテスト特賞 受賞作 青野正氏「月を射る」


荒川に接する側の緑地に降ります。

荒川と新荒川大橋







上の緑地の戻って来ました。

「草刈りの碑」
昭和13年8月から行われていた「全日本草刈選手権」を記念して建てられたそうです。へぇ

青水門の手前から隅田川

彼方は青水門側の中洲(中洲って言い方正しいかどうか分からないけど便宜的に)。
中洲の向こうへの流れが荒川(荒川放水路)

放水路も水門も、現在と比べても建設重機も無いと想像できる時代にこんなに凄いもの造ってしまうなんて。
そして大水害が防がれる。偉大で尊いお仕事ですね。



コンクリートの建造物、堅牢な要塞の如く。

さて、青水門も再訪して写真撮ってますけど、どうしましょう。
「桜」の景色がこれっぽっちも関わってこないからなぁ・・・。(そうなると、前の記事とそう変わらないものになりそうだし)
でも取り敢えず、当記事を最後まで見て頂きまして ありがとうございます。
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