「痴人の愛」のヒロインモデルになった小悪魔のお話。谷崎潤一郎のこと

日本の耽美な文学作品の作家といえば、おそらく直ぐ名前が上がる一人が谷崎潤一郎でしょうか。

その谷崎潤一郎の人生と女性たちのお話は、自身の性的嗜好、マゾヒズムを隠すこと無く表現された谷崎文学のモデルになっただけあって本当に興味深く思います。

「痴人の愛」ってどんな物語?

真面目なのが取り柄の電気技師の譲治は、ある日浅草のカフェで見かけた女給見習いの少女が気になり、何度かデートをした後、身元を引き受けることにします。

「マイフェアレディ」や「プリティウーマン」でヒロインの相手の男みたいに、素敵な女を自分の手で育ててみたくなってしまうのですね。

そしていずれは自分の妻に・・・。

ナオミは西洋人の様な美しい顔立ちとプロポーションをしている反面、家族間の愛情が希薄で粗雑な家庭環境に育った、ある意味無垢な少女です。

譲治はナオミを自分自身の価値観に沿った理想の女性に仕立てようと、本人の希望もあり、音楽と英語を習わせます。

そして少女から大人の女へと成熟してゆく美しいナオミを崇拝するのです。

それは次第にナオミが手に負えない我儘で奔放な女へとなっていき、習い事をきっかけに出会った不良少年たちと連む様になり、譲治を欺いて浮気三昧です。

ナオミも遊んでいるつもりで、いい様に遊ばれているのですが・・・。

真相を知った譲治は激しく怒り、一度はナオミを追い出すものの、三下り半を突き付けた直後に激しく後悔をして、必死に探そうとします。

ナオミについて自分の知らない色々な情報に触れるうち、キッパリとナオミの存在を切り離し、故郷に帰ろうとする譲治の元に、揶揄う様に時々やって来ては挑発するナオミに譲治はとうとう堪え切れずに服従を誓うのです。

喜びに打ち震えながら。

マゾヒズム、フェチズムが醸成される背景とは?

『人魚の嘆き・魔術師』 春陽堂 大正8年出版 挿絵 水島爾保布 
国立国会図書館デジタルコレクション

谷崎のマゾ的嗜好が培われていく背景はどんな感じだったのでしょう。

谷崎は、結婚する以前は芸者が大好きだった様です。

明治末から大正にかけて華やかでアイドルタレントの様な存在だった芸者さん。

そんな芸者ガールは人によっては何人もの情夫を囲っていたり、男勝りな振る舞いをする女たちもいたそうです。

またこの時期文学の面では西洋からもたらされた、男を破滅へと導く運命の女、”ファムファタール”

という女性像が人気を得ていた様です。

芸者好きな文学青年だった谷崎は、これらのことに影響を受けて「悪女」的女性を崇拝し、服従する妄想に身悶えする様になったと思われている様です。

悪女と結婚した筈なのに・・・

撮影者不詳 1885年 アムステルダム国立美術館

谷崎は、初 という女性に憧れていました。

初 は元芸者で料理屋を営んでいました。

悪女めいた雰囲気を持つ初 が大好きで結婚したかった谷崎でしたが、初 には旦那がおりました。

そのかわりに初の妹 千代と結婚します。

初の妹さんならば、似たよう女性だろうと考えたそうです。

ところが・・・。

千代は「悪女」とは正反対の「良妻天姆」なタイプの女性だっだのです。

実際にどんな女性なのか知らないで結婚しちゃうのがよくわかりませんが。

思っていた女と違う!!

谷崎は千代に不満を感じ辛くあたり、しまいには暴力をふるう様にもなっていった様です。

それでも千代は健気に夫に尽くし、日常でも、食事など気難しい好みを持つ夫の望む様に完璧に生活を整えていた様です。

また千代は谷崎の両親にも尽くし、義母は亡くなる間際感謝を込めて、「実の娘の様な気がする」と漏らしたそうです。

谷崎はそんな千代の美点を認めて感謝しつつも妻を蔑ろに扱い続け、妖艶な悪女の雰囲気を持つ千代の妹せい を耽溺したそうです。

せい との結婚を考える様になった谷崎は、千代の気持ちに寄り添い、そのうちお互いを意識する様になる友人の作家佐藤春夫に千代との結婚を勧めるのです。

谷崎、千代、春夫の関係は、しばらく後に本人たちの気持ちに沿うことなくマスコミに、

「妻譲渡事件」

と騒ぎ立てられる出来事へと発展していくのですが、とりあえず置いておきます。

「痴人の愛」小悪魔ナオミのモデル せい はどんな女性?

先述の様に、せい は初と千代の妹です。

谷崎が千代と結婚した時期に せいを引き取り一緒に暮らすことになったとすれば、この時谷崎30歳、千代20歳、せい は14歳ということになります。

谷崎は利発で快活な義妹を殊の外可愛がり、成長するにしたがって益々西洋人の様な美貌を湛えるせいに「女」として惹かれていく様です。

谷崎は因習に囚われない新しいものとして西洋のものにも惹かれるのです。

それは女性の美しさについてもです。

谷崎の西洋美人崇拝は度々小説にも書かれてますね。

そして せい には 初と同じ魔性の様なものを感じていたようです、一緒に暮らし始めた頃からすでに・・・。

映画女優 葉山三千子

ジョージ・バビエル ファッション誌のイラストレーション 1913年 アムステルダム国立美術館

大正9年(1920年)5月大正活映という映画制作会社が設立され、谷崎は脚本部顧問に招かれます。

映画制作に携わることは谷崎の念願です。

この会社で最初に執筆した脚本が「アマチュア倶楽部」というドタバタコメディ作品で、

主演は葉山三千子。

せい の女優名です。

せい に俳優の経験は全くありません、素人です。

西洋美人は谷崎の好むところ、西洋人のような美貌を持つ せいを担ぎ出したのは谷崎でしょう。

ずぶの素人でありながら、せい は谷崎の期待に応え、女優としての名声を高めてゆくことになります。

まぁ度胸はありそうですからね。

谷崎はこの頃、せい との結婚を考えます。

でも、せい にとって谷崎は何でも与えてくれる「気前の良い姉の旦那さま」でしかありません。

結婚どころか恋愛対象にもならないのでしょう。

それに せい はこの時期、男優 江川宇礼雄(もしかしてウルトラQの 一の谷博士を演じた人)に恋をし、岡田時彦との噂もあったそうです。

加えて不良少女的素行は谷崎を大いに困らせたことでしょう。

谷崎は映画を新しい芸術表現と考え、耽美な作品を手掛けたかったようです。

でも大衆が映画に求めているのは文芸ではなく、チャンバラのような娯楽活劇でした。

大正活映が娯楽映画路線を決めると谷崎は映画制作から距離を置きます。

せい もそこで女優活動を辞めてしまうのでした。

その後の せい は?

『人魚の嘆き・魔術師』 春陽堂 大正8年出版 挿絵 水島爾保布 
国立国会図書館デジタルコレクション

大正12年(1923年)

映画制作から手を引いたのちに新聞に連載された小説が「肉塊」です。

映画制作に情熱を燃やす主人公 吉之助が、女優グランドレンの美しさに惑わされ、何もかも失うことになる物語です。

それまで役者の経験がない混血の美女、奔放で我儘なグランドレンのモデルは、せい なのでしょう。

このグランドレンが、翌年執筆される「痴人の愛」のナオミへと発展したのでしょうね。

せいをモデルにしたキャラクターはこの二作だけではありませんが。

一方で、女優を辞めた後の せい はどうだったのでしょう。

「肉塊」が発表された大正12年は9月に関東大震災が発生します。

横浜の自宅を失った谷崎一家は関西へ移住するのですが、せい も一緒です。

そしてこの年、ある男性と結婚、5年後の昭和3年(1928年)に離婚となります。

昭和7年(1932年)、30歳のとき和嶋彬夫という人と再婚します。

この再婚後は、夫に尽くす良妻になり、以前のような阿婆擦れな素行は全くなくなったそうです。

昭和10年(1935年)に谷崎は三度目の結婚をするのですが、

妻となる松子は、偉大な作家の為に

たとえ世間からどう思われようが、谷崎潤一郎の望む女になる

と決意したそうです。

もしかしたら、せい も谷崎の望むような小悪魔を演じていただけっだのではないかと、いわれてます。

意識的か無意識的かわかりませんが。

そうであれば谷崎潤一郎は、時には意のままに女性を操れるエゴマゾだったのでしょうか・・・。

細君譲渡事件についてはこちら

こちらも義妹への想いを抱えた巨匠

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