前回に続いて、暴太郎戦隊ドンブラザーズ(2022年)で度々登場した公園の二ヶ所目
待乳山聖天公園(まつちやましょうでん こうえん)
を訪ねます。
前回訪ねた山谷堀公園からは、徒歩で約2分くらいの近所なのですね。
訪ねた日:2024年10月2日
写真:えふゆ 無断転載厳禁
山谷堀公園の記事はこちらです。
よろしければ当記事と合わせてご覧くださいませ。
記事末に広告あります。
所在地
所在地
〒111-0032 東京都台東区浅草7丁目4-9
(山谷堀公園・聖天橋跡の辺り~待乳山聖天公園 地図)
遊具や砂場で遊んでいる子供と付き添う親御さん。
ベンチで仕事の合間にゆったりと過ごす人々。
正直な気分として、何て言うか、どこの街でも有り勝ちな風景の公園なのですね。
台東区役所HPによれば、
複合遊具と広場と池波正太郎碑があって、イチョウやユリノキが植えられている公園です。
待乳山聖天に隣接してます。
と簡単に説明されてます。
その簡単説明がされているWebページはこちらです。
台東区役所HP内 台東区立公園の一覧ページ 「区立公園の所在地、概要」
(台東区の区立公園の一覧表で写真は掲載されてません)
photograph 待乳山聖天公園
山谷堀公園の聖天橋跡の辺りから歩きまして、
公園名を記した看板や門の様なものが設置されている側を「正面」とするならば、
正面とは反対側に到着します。
その場所から正面の方へ進んで行きます。
49話 さいごのおもいで
ほぼ真っ直ぐ行ったところが公園の正面です。
この滑り台の前をタロウとジロウが通り過ぎますね。
「おまえ少し変わったな」
「どんな風にですか」
勘違いでなければ、本編映像では、タロウが腰掛けるベンチがこの木のそばにありました。
「上手く言えないが、普通になった」
「・・・それ褒めてます?」
「ああ、普通の奴が実は一番怖い。そういうもんだ。」
「僕が変わったとしたら、それはタロウさんのお陰ですよ」
「今の僕ならどうでしょう、タロウさんと戦ったら」
そこにソノイ登場「それはわたしも気になっていた。、私はお前との勝負を諦めたわけではない」
隣接する施設が気になったのです。
神社みたいに見えますけど、後で行ってみますね。
23話 イヌ、いぬになる
滑り台の隣、フェンスで覆われてますけど、砂場かな。
少年に話しかける みほ「何してるの?」
雉野と みほ が、花と犬の首輪とボールを供える男の子を見かける場所。
少年「前にここの道路で、うちの犬が事故に遭って・・・」の場所
犬の祟りで変身解除できないイヌブラザー「チェンジオフ、オフ、オフ!」
通りかかる女子学生二人。
「登校日ダルくね?」
「あっ、ワンちゃん!可愛い~」
「そう?ちょっとヘンじゃね?」
「やめろ!俺はオモチャじゃねー」逃げ出すイヌブラザー
14話 みがわりジロウ
フェンスの隣にブランコ
別の場所での一悶着の後、この場所でジロウを詰問する雉野、はるか、猿原
「どういうつもりだ君は、一体何の真似だ」
「はい、僕桃谷ジロウと言います」
「君が誰でもどうでもいい。私たちの戦いは遊びじゃないんだ」
「僕は生まれながらのヒーローなのです。そして貴方たちのリーダーです。そーゆー運命なんです」
16話「やみおちスイッチ」猿原とジロウが会話したところ。
「梅雨空に・・・何の用かな?、今は一人の時間を楽しんでいるのだが」
「はい、今日は僕ドンブラザーズの新人として少しでも役に立ちたくて、俳句を作って来ました~」
公園正面・池波正太郎碑
解説板と言って良いのかな?
写真が下手なのは置いておいて(置くの?)、字も絵も擦れ気味で見づらいですね。
公園と隣接する待乳山聖天は小高い丘にあり江戸時代は、此処からの街並みと隅田川の眺望が素晴らしかったよ、と伝えてるみたいですね。
ちょっと補正してみましたけど意味なかったかな・・・。
待乳山聖天公園の「正面」ですね。
作家 池波正太郎碑
有名な作家さんですけど、正直えふゆはお名前くらいしか存じてませんです、恥ずかしながら。
読んだ事無くて恐縮ですけど、どんな解説が記されているのかな?
作家 池波正太郎は1923年(大正12年)に旧東京市浅草区聖天町に生を受けたそうです。
その年の9月に発生した関東大震災により生家は焼失しますが、その後も暫くは台東区に暮らしたそうですね。
1960年(昭和35年)に直木賞を受賞、「鬼平犯科帳」「剣客商売」などの人気シリーズのほか、多くの傑作時代小説を執筆します。
待乳山聖天周辺は小説で度々舞台になってます。
とのことです。
待乳山聖天
池波正太郎碑の並びに待乳山聖天への石段があります。
神社とばかり思ってましたけど少し雰囲気が違う様な。神社かな?、お寺かな?。
待乳山聖天の案内パンフやHPによれば、
待乳山聖天は浅草寺一山支院の一つで、正式には、
待乳山聖天・本龍院(まつちやま しょうでん・ほんりゅういん)というそうですね。
天台宗の流れを汲む寺院なのですけど、本堂正面に「聖天宮」の扁額が掲げられる、神仏習合的な信仰のお寺とのことです。
推古天皇治世3年の年に、地中から忽然と湧き出た霊山が此処なのだとか。
このとき、天より金龍が降りてきて山を廻り守護したとの伝えがあるそうです。
それから6年が経った年の夏の大旱魃のとき、
十一面観世音菩薩が大聖歓喜尊天の姿となって現れて、天下万民を救ったことで「聖天さま」として祀られた事が起源になったそうです。
詳しくは
をご覧ください。
普通に神社に参拝する感じで手を合わせてきましたけど、何故だか少し戸惑ってます。
「本殿」。
御朱印を希望する場合は本殿正面から中に入った奥で受け付けてるみたいです。
(正面の扉は自動扉の様です)
何故だか戸惑う えふゆ は行かなかったです。
本殿を左へ行った奥に稲荷神社(稲荷尊)がありました。
本殿背後から。
気持ちを整え直してから再訪してみたく思います。
今回も最後までご覧くださいましてありがとうございます。
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次回予告
此方の周辺を散策しました。(次回予定)
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