江戸川乱歩の小説「人でなしの恋」や谷崎潤一郎の小説「青塚氏の話」は実際の生身の女性と見紛うほどの美女人形を愛してしまったり、セックスをする男のお話でしたね。
「青塚氏の話」の主人公は異様な探究心や観察、研究、放浪の末にお気に入りの女優そっくりの人形を自身で製作してしまうのです。
そんな架空の物語ではなく現実にダッチワイフと睦む日々を送った画家がいたのですね。
- オスカー・ココシュカ氏は亡くなられてから70年を経ていない為、御本人が手掛けた作品の画像等は著作権で保護されパブリックドメインとなっておりません。そのためこの記事はココシュカ氏の作品画像を添えていないことをお断りしておきます。
暴れん坊は芸術家になる
画家 オスカー・ココシュカは1886年オーストリアの首都ウィーンの西方のベヒラルンという小さな町で生まれました。世代的にはクリムトとシーレの間くらいでしょうか。
ココシュカが生まれて数日後、生家が全焼する事件が起きたことで、父親は一時家族と離れてプラハの宝石店に、母親と子供達は母方の兄弟のもとに身を寄せます。
3年後、家族はウィーンで落ち合います。
ココシュカは、暴れん坊で、根っからの反抗児気質だったみたいですが美術の教師を目指していたそうです。
美術の先生になりたいと思ったきっかけは分かりませんが、父親はボヘミア出身の金細工師でココシュカ家は代々プラハの金細工師の家系なのだそうで、芸術は身近なものなのでしょうね。
18歳のとき給費生として工芸専門学校に学びます。
そこで、反抗的なココシュカが反乱の種を蒔くとの理由から給費が拒否されそうになると「自殺する!」と刃物を持ち出す騒ぎを起こしたこともあるそうです。
1908年、ウィーン工房主催のクンストシャウという、政府が後援するグループ展覧会に、共催者となる工芸専門学校の教師の推薦で出品することになります。これが実質デビューの場となるそうです。
ここでも一悶着を起こします。
出品作品が展覧するに値するのか、クリムト率いる審査委員会が審査をするとき、
「公開が保証されないのであれば、ここを開けない!」
と言って、自分の出展場所を閉鎖してしまいます。
「新聞に叩かれればいいさ」とクリムトは去って行きます。
そして叩かれ捲ります。
「此奴の骨という骨をへし折ってやりたい!」作品を閲覧したオーストリア皇帝の甥は不快感を口にしたそうです。
3年後に別の展覧会でココシュカの作品を観た時も「汚らわしい!、車裂きの刑に値する」と言ったそうです。
人間の内面の不安、抑圧的な性的衝動や葛藤を表現するココシュカの作品は、人々にとって「見たくないもの」なのでしょうか。
作品の展示された部屋は「ホラー部屋」と呼ばれてしまいます。
それでも支持者もいたようで、作品を買っていく人々もいました。
そんな支持者のなかに、建築家のアドルフ・ロースがいました。
ロースはこの歳若き友人に肖像画の依頼を斡旋したり、知的階級の人々をたくさん紹介したようです。
そうした流れの中で、あの「偉大な作曲家の美しき未亡人」と出会うことになるのですね。
「風の花嫁」との愛の闘争
ロースを通じて、風景画家カール・モルから自宅での昼食に招待されたのが、「運命の女」との出会いでした。
モルは その場に、義理の娘アルマも招きました。
アルマの敬愛する父親は高名な風景画家エミール・ヤコブ・シントラーです。
父親はアルマが13歳の年に亡くなりますが、幼い頃から芸術や芸術家と常に接する環境で育ったアルマは、自身も芸術の素養があり、特に作曲に熱を入れていたようです。後世に残る作品を残せたかどうかは分かりませんけども。
数々の芸術家との恋愛を嗜み、生涯で3回の結婚のお相手も全て芸術家でした。
ココシュカと出会ったこの時期は最初の夫で音楽家のグスタフ・マーラーと死別して、いずれ二人目の夫となる建築家ヴァルター・グロピウスと交際中でした。
ココシュカとアルマの熱い関係は、モルの自宅に招待されたこの日から始まります。
食事の後、アルマはピアノの置かれた隣室にココシュカを連れ、彼一人の為だけに「イゾルデの死」を歌う。
ほんの少しの戸惑いを孕みつつココシュカはアルマを抱擁してしまいます。
アルマは「突然の抱擁」をされたと言うけれども、それを導いたのはアルマ自身のようです。
美しい未亡人は、芸術家との恋愛事がなければ生きていけない特性なのでしょうか。それも自身が全てをコントロールした状況での。
アルマは32歳、ココシュカは25歳、若い二人は肉体的情熱を抑えることなどなく、愛し合い、アルマは若い絵描きを援助します。
ココシュカはとても所有欲が強く、嫉妬深い性格だったそうです。
出会った翌日にアルマに送った手紙で、もう結婚を懇願するくらい恐れ知らずでもあります。
愛の行為を重ねても、アルマはココシュカが望む結婚をする気はないのでしょうか。
やがてココシュカの子を宿します。でも、アルマは中絶するのです。
それでも、二人は一緒に住むための家を建てる計画を決心します。
それでも、アルマはやがて夫となるグロピウスとの文通をやめていません。
グロピウスがアルマとココシュカの関係に気付き絶交を伝えます。
それでも、アルマは気に留めません。アルマは今、才能ある歳下の男の存在で満たされているのです。身も心も。
それでもアルマに関わる全ての男たちに嫉妬の炎メラメラなココシュカの心は憔悴します。
「僕は裏切られたままでいるべきだろうか」
嘆く歳下の愛人に対してアルマは「あなたが傑作をものにしたら結婚しましょう」と切り返します。
傑作が生まれました。
「風の花嫁」(1914年)
大海に漂う難破船に揺られる、抱擁しあう一組の男女が描かれる、ココシュカの代表作です。
男はココシュカ自身を、男の胸に抱かれる女はアルマをモデルとしているのは明らかですね。
同じ時期、一緒に住むための家も完成して、二人はそこで一緒に暮らすことを決めます。
そしてまた、アルマは妊娠をします。
アルマの母親やお手伝いさんたちが新居の最後の仕上げをする中で、ついに結婚が約束されたと喜ぶココシュカでしたが・・・。
新居に、ココシュカが望まないものが郵送されます。
アルマの亡き夫、グスタフ・マーラーのデスマスクです。
アルマはそのデスマスクを部屋の一番の場所に置くのです、平然と。
アルマの過去の男を思い出させるものなど嫉妬深いココシュカにとっては地獄です。(嫉妬深くなくても微妙ですね・・・)
地獄は続きます。
数日後、アルマは入院して、またもや中絶手術を受けるのです。
それでも二人は断絶せずギクシャクしながらも、関係を続けたのです。そんなある日・・・。
かつてココシュカの作品を嫌悪し酷評したオーストリア皇帝の甥、フランツ・フェルディナンド大公が暗殺されます。
オーストリア はセルビアに宣戦布告、1914年 第一次世界大戦が始まるのです。
翌1915年
愛国心からなのか、アルマとの関係を清算するためなのか、ココシュカは志願して軍に入隊します。
反対に、負傷して戦場を離れたグロピウスとアルマは再会して、八ヶ月後に結婚をします。
ココシュカは騎兵隊に所属して各地を転戦し、二度負傷して二度ともウイーンで手当てを受けます。
一度目は、死亡と報じられるくらい重篤でした。
自分の支援者であるロースを通じてアルマに自分に会いに来て欲しいと懇願しますが、アルマは容赦無く拒否します。
日記には、
「ココシュカはもう縁の無い影のような存在、もはや何の興味も無い」
と記されていたようですが、
「にもかかわらず、私は彼を愛している」
とも記されているようです・・・。
奇行 ”沈黙の女” との幻想的日常
戦後、ココシュカはドイツ ドレスデンで美術アカデミーの教授となるのです。
アルマの住む街で過ごしたくないと考えたのでしょうか。
でも、ウィーンを離れてもアルマに対するココシュカの思いは不滅のようです。
ミュンヘンの人形作家ヘルミーネ・モースに奇妙な依頼をします。
アルマを象った等身大の人形の制作を頼むのです。
詳細なスケッチや指示書を何度も送り、素材についても細かく指定します。
「これを言うのは恥ずかしいのですが・・・陰部も完璧に作ってください」
人形に合う下着と着せ替えの為の服も何着か用意します。
ココシュカが求めるもの、それは
本物の女と見紛うルックスと触れ心地を備えた、完璧なアルマ、
自分の思い通りに愛し合えるアルマ、だったのでしょうか。
しばらく経って依頼の人形が届けられます。
梱包を解き現れたものは・・・人の形の様な、不細工な布と綿のカタマリでした。
さぞかし落胆したでしょう。
それでも・・・
人形を「沈黙の女」と命名します。
お手伝いの女性は、”彼女”の魅力について街中に噂を広めてくる様言い付けられます。
天気の良い日には、高価な服を着せた”彼女”を伴い外出します。
馬車を借りて、”彼女”を見せびらかす為に、予約をしたオペラ劇場の桟敷席に現れます。
この”アルマ”を何とか愛そうと試みたのでしょうか、
話かけ、セックスを重ねたでしょうか
時に密室ではなく衆人環視の状況で、こんなことやれてしまう心の有り様はどうなのでしょうね。
戦場で頭に銃弾を受けたことで、正常なコミュニケーションに困難を感じていたと言う人もいるようです。
(後に別の女性と結婚しますけどね)
ココシュカ自身が人形と佇む絵画作品がいくつか残されているのですが、自身の行為の滑稽さを冷徹に観ている様にも解釈できそうです。
妄想と現実を行き来する日々はココシュカ自身の手で最終章を迎えます。
「彼女を何百回とスケッチして絵を描き、ようやく諦める決心がついた」
ココシュカは招待状を出し、パーティーを催します。
庭園内に招待客の席を設け、松明を灯し、大量のワインが開けられます。
最初はファッション・モデルのように振舞わせる”アルマ”を披露した後、赤ワインを浴びせ、首を切り裂き、全裸にして放置します。
まるで招待客の前で辱めてから殺したように感じられなくも無いですね。
翌朝、本物の「放置された女の全裸死体」と勘違いをした警官に事情聴取をされます。
「ある意味で僕はアルマを殺した」
事情を知った警官と笑い合って この物語は幕を下ろします。
アルマへの最後のメッセージ
ナチスの脅威がヨーロッパで広がる頃、ユダヤ人の作家フランツ・ヴェルフェルと三度目の結婚をしたアルマは、一家と共にヨーロッパ各地を転々としてアメリカへ決死の亡命します。
ヴェルフェル一家は生活に困ることはなかったようです。
アルマにはグスタフ・マーラーの残したドルの一部がニューヨークにあり、ベルフェルの作品は高く評価され、ハリウッドで映画化されたそうです。
でもベルフェルはアメリカでの生活には馴染めないまま、精神的に衰弱し、映画化された自作が上映されるころ、心臓発作に見舞われ病床につき、間も無く亡くなります。
もう若くないアルマは、恋愛事にうつつをぬかすことなどないものの、自己中心的な尊大さは変わりないようでした。
そんなアルマの70歳の誕生日に、音信の途絶えていたココシュカから一通の電報が届けられます。
「愛しいアルマ、僕たちは僕の『風の花嫁』の中で永遠に結ばれているのです」
一方のアルマは
「マーラーの音楽は、一度も好きになったことはない、ヴェルフェルの作品も関心はなかった」
グロピウスの作ったものさえも。
「でもココシュカは、いつでも私を感動させた」
・・・だそうです。