古代ギリシャの女性詩人サッフォーはレズビアンだといわれてますね。
彼女が生まれて、過ごした島の名前、レズボス島が女性同性愛者の語源になっているのは大抵の人の知るところですね。
だけど生没年不明で遺された作品さえほぼ現存しない人物の性嗜好だけがはっきりと後の世に伝わってるのは何か奇妙な気もします。
なぜ同性愛者と言われるの?
紀元前の芸術家の生没年がはっきりしないのはありがちな事の様な気もします。
サッフォーの作と言われる詩もほぼ断片的なものばかりとなれば実在したかも怪しく思えます。
サッフォーの詩歌は本人が在世中から注目され、ギリシャ本土でも大変評判がよくて、
亡くなるずっと前から神格化されるくらいのカリスマ性を讃えられたそうです。
時代が経ち紀元後4世紀、ローマでキリスト教が公に認められる様になると異教や、キリスト教の教えに悪影響を与えそうな書物や芸術は弾圧の対象になり、
サッフォーの詩歌は焚書対象となった為、ほぼ断片ばかりで完全な形で遺された詩歌は僅かになってしまったのだとか。
サッフォーの詩が”有害図書”に指定された理由は、女性から女性に向けた恋情を込めた官能的な愛を語っていた為だとか。
紀元後2世紀キリスト教護教家タティアノスという人物はサッフォーを「淫売で色情狂」と激しく非難したとか。
「猥褻なことばかり書いていてけしからん変態女だ」、ということの様です。
祝婚歌を多く手掛け、高い評価を受けていたサッフォーの紡ぐ詩は、自身(または、自分以外の女性)の少女たちに抱いた恋情をしたためたものが殆ど全てといったところなのだとか。
彼女の詩には男性はほぼ登場しないのです。
サッフォーは貴族
サッフォーの出自は、レズボス島の有力な貴族の出なのだとか。
紀元前630年頃の生まれと伝えるものもあるそうなのですが、はっきりした事は分からないそうです。
長い巻き毛の、女神の様に美しいと女性と伝えているもの、
逆に、浅黒い肌の、背の低い醜女だったと伝えるものもあったり、ルックスさえはっきりしない様です。
プラトンをはじめ、古代ギリシアの高名な人々は、「美しきサッフォー」と呼んでいた様です。
それは容姿ではなく、優雅な振る舞いや人々を魅了する歌声や舞い、高い教養を身に付けた素晴らしい女性という賛辞のようです。
ただ先祖はアジア系の可能性があるらしくて、もしかしたら古代ギリシャ人からすれば、ヨーロッパ的なルックスとは違うエキゾチックな雰囲気を感じたのかも知れませんね。
紀元前591年頃に音楽、歌唱、舞踏、詩文に加え、良きお嫁さんになる為の教育を施す女学校をレズボス島に設立します。
この女学校にはギリシャ本土からだけでなく、イオニア地方(レズボス島南方のエーゲ海沿岸の地域、現トルコ領)からも少女たちが集まって来たといいます。
生徒たちには美の女神アプロディーテーと家庭を守る女神ヘラを篤く信奉する様に指導したのだとか。
サッフォーの家族
サッフォーの家族については本人以上に不明な事ばかりです。
父の名はスカマンドロス
サッフォーが6歳の時に亡くなっているようですね。
子供はサッフォーの他にカラクソス、エウリュゲオス、ラコリスの兄弟がいたそうです。
サッフォーは末の弟ラコリスを事の他可愛がったといいます。
長男カラクソスはレズボス産のワインをエジプトで売り捌く商売をしてたそうですが、現地で知った娼婦ドリカに入れ込み放蕩のすえ破産したとか。
サッフォーはそんな兄を詰る詩を残してます。
男性と結婚していた
サッフォーの詩に男が登場するときは、女性同士の美しい恋愛を邪魔する悪として書かれるのです。
同時代、同島出身の男性詩人アルカイオスからの恋情を告白した様な詩に対して、冷淡にその想いは「邪で猥褻」とバッサリ切り捨てた詩を返したりもしてるのですけど、
こんな話を聴かされれば、男の存在自体が害虫かゴミの様な嫌悪の対象で、美しいもの、可愛らしいものや少女ばかりしか愛せない人みたいな印象をもってしまいます。
でも、
そんなサッフォーは男性との結婚の経歴もあります。
結婚をしたのは十代後半、古代ギリシャの習慣に従ってのことのようです。
夫の名はケルキュラスというそうですが、サッフォーの詩に名前が出てこない為、架空の人物ではないかと考えられているそうです。
でも男性と結婚をしたのは確かな様で、自分の母の名をとってクレイスと名付けた娘を儲けたみたいです。
サッフォーの詩にも記されていて、とてつもなく愛していた感じです。
夫とは早くに死別して、その後の人生を寡婦として過ごしたと伝えられてます。
少女だけではなく、男も大好きで、老いを隠し様がなくなった歳の頃に、恋焦がれた男から振られたショックで断崖から身を投げて人生を締め括ったとも言われてます。
生没年不明と言われるカリスマ女性の最後にしてはインパクトありすぎて信用して良いのか分かりません。
在世中から有名人だっだサッフォーは虚実入り乱れて色々語られていたみたいですね。
男嫌いであったならば、愛する少女たちに花嫁修行を施そうなどとは思わないのでは。
それでも、自分の元を巣立って一人の男のものになってしまう愛しい少女弟子に対して、激しい劣情を発して、嫉妬に震える身心の状況を詩に遺してます。
画家ベルト・モリゾを連想
サッフォーの事に触れると、一人思い浮かぶ人物がいます。
フランスの印象派の女性画家ベルト・モリゾ(1841 -1895)なんです。
モリゾがレズビアンという話は聞いたことないです。
サッフォーとは時代も国も違います、言うまでもないですね。
サッフォーは貴族の家柄で、モリゾ家はブルジョワの階級。
どちらも裕福で、経済的心配をせずに芸術にうつつを抜かせられる立場です。
芸術も含めてあらゆる事を批判的に見詰める(自分自身に対しても)モリゾは、一緒に絵を描き始めた姉(次女)エドマとの絆はかなり強固で、エドマとベルトは互いを自分自身の半身と考えていたとか。
反面、父や弟に対してはかなり冷淡だったとか。
結婚前にはマネとの間にただならぬ交歓があったと言われてます。
熱烈なプロポーズをして来たマネの弟ウジェーヌと結婚し、一女ジュリーを儲けてもいます。
夫の死後、両親の亡くなった姪たち(モリゾ家の長女イヴの二人の娘)を引き取り、娘ジュリーと四人で暮らしました。
ジュリーと姪の一人ポールに絵画の教育を施す傍ら、様々な少女たちをモデルに作品やスケッチを制作します。
裸を描かれた少女たちの中には、娘ジュリーの友達もいたそうです。愛娘は脱がさなかったのでしょうね。
ベルト・モリゾ、夫と死別後のお話はこちら
一方で男の子の絵は、ほんの数点幼児を描いた作品が遺されてます。
モリゾは未成熟な色気を湛える少女たちに美をみつけていたのでしょうか。
人間の性は本来大らかで、男だろうが女だろうが、洋の東西問わず、歴史を遡ると同性愛は咎められるものではない様ですね。
だけど、個人々が色々な経験をした果てに、同性愛を憎む人々が現れたりするのでしょうか。
そんな人が宗教や政治の場で権力をふりかざして、同性愛は自然に反してる だの、悪魔の仕業だとか言いだして、気に食わない事を駆逐してしまったのでしょうか。
もしくは、自己都合だけで、ウケがいいからと無責任に吹聴したのか。
作家や芸術家は大抵、権力に与しないものと考えます(する人もいるでしょうけど)。
自然体で大らかに生きてくDNAを持っているのでしょうか。