佐藤春夫と谷崎潤一郎&千代の妻譲渡事件。耽美作家二人と妻ひとり

二つの事件、「小田原事件」と「細君譲渡事件」について。

事件関係者は、作家 谷崎潤一郎と妻 千代、谷崎の友人の作家 佐藤春夫の三名です。

事件とは言っても、この3人の人間関係を、マスコミと世間が「事件だ!」と面白おかしく騒いだからでしょうね。

アイキャッチイメージ画:えふゆ  無断転載厳禁
  • 以下当記事本文に添えた画像は全て、広尾松栄堂意匠部 編『聚秀』第4巻,広尾松栄堂,昭和5年. 国立国会図書館デジタルコレクションから。

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「小田原事件」

広尾松栄堂意匠部 編『聚秀』第4巻,広尾松栄堂,
昭和5年 国立国会図書館デジタルコレクション

作家谷崎潤一郎の女性の好みは「悪女」型の女性です。

ところが妻に迎えた千代は、悪女とは真逆の良妻賢母型な女性でした。

そんな千代に不満な谷崎は小悪魔的雰囲気を持つ千代の妹 せいに惹かれていくのです。

夫からどんなに邪険に扱われようと健気に谷崎に尽くす千代でした。

そんな千代に同情を寄せたのが、谷崎の友人で、こちらも作家の佐藤春夫でした。

同情はいつしか恋愛感情に変わり、佐藤と千代は互いを意識し合うようになります。

谷崎は千代と別れ、せい との結婚を考えるようになります。

谷崎の存命中に纏められた伝記小説によれば、谷崎は佐藤に

「千代と一緒にならないか?」

と提案したそうです。

実際には、佐藤と千代はこの頃、結婚を考えていて、佐藤の方から谷崎に申し出たとも言われてます。

谷崎もその旨了解していたようです。

ところが、せい から結婚を断られた谷崎は一転、佐藤と千代の結婚を認めないことにします。

どんなに辛く当たっても、生活全般の気難しい自分の嗜好に、完璧に答えてくれる千代を失うことは物書きという仕事にも影響を及ぼすと気付いたのでしょう。

エゴイストですね。

当然佐藤は激怒し、谷崎に対し絶交を宣言します。

これが「小田原事件」(大正10年、1921年)と言われる出来事です。

作家 佐藤春夫

広尾松栄堂意匠部 編『聚秀』第4巻,広尾松栄堂,
昭和5年 国立国会図書館デジタルコレクション

佐藤春夫は谷崎と同じ耽美的は物語を書く作家です。

佐藤が作家として注目された背景には、いつだって谷崎の推しがあったようで、佐藤は谷崎への感謝の気持ちを常に持っていたそうです。

お互いの才能を認め合う仲の良い関係でした。

そんな二人の作家は「小田原事件」ときっかけに絶交をします。

二人とも、自身の作品において、「小田原事件」での出来事やその関係者をモデルにした物語を執筆することで心情を吐露した様です。

元々中の良い二人ですから「事件」から5年を経て和解します。

佐藤にとっての和解の理由は・・・

「僕は最近、情婦ができた。こんな状況になってみて考えたのは、あの頃の君の生活についての、僕の理解が足りなかったことに気がついた」

・・・どういうことでしょうか?

小田原事件の3年後の大正13年(1924年)、佐藤は芸者・小田中タミと結婚。

その2年後に山脇雪子という女性と不倫します。(この年の不倫相手はタミの従姉妹で、きよ子という女性だとも)

自身の女好きを棚に上げて、タミの嫉妬深くヒステリックな性格にウンザリしていた佐藤でしたが、

「僕も他所で不倫を楽しんで妻を傷つけちゃったから、今ならば君の気持ちを理解できるよ」ということですかねぇ・・・。

そもそも佐藤春夫は女好きなのでしょう。

千代に想いを募らせていた時には、ある無名の女優と同棲中であり、その女優の前にも別の女優と同棲をしていたみたいですから。作家ってモテますね。

谷崎との和解はそんな不倫の最中の事のようです。

もっとも、タミが夫の女性関係について谷崎に相談を持ちかけていたそうで、もしかしたら和解のきっかけはタミの存在が大きかったのでしょうか。

佐藤自身が条件も理由も無く谷崎と和解をしたかったからとも言われてますけどね。

間も無く佐藤春夫とタミは離婚します。

そしてまた、佐藤と千代の結婚話が持ち上がるのです。

(因みに谷崎と佐藤が和解した1926年は大正15年、年末の5日間だけ昭和元年だった年ですね)

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「細君譲渡事件」とその後

広尾松栄堂意匠部 編『聚秀』第4巻,広尾松栄堂,
昭和5年 国立国会図書館デジタルコレクション

和解から4年後の昭和5年(1930年)谷崎、千代、佐藤の連名で声明を出します。

谷崎と千代が離婚し、千代と佐藤が結婚をする。

という内容です。

当然ながら、三人がどんな思いを抱いてこの10年を過ごしてきたかを知る筈のない世間は、「妻」を物のようにやりとりする印象を持った様で、

「妻譲渡事件」

とマスコミに騒がれ、批判に晒されることになります。

また、何故か世間は、佐藤と千代が不倫をして、谷崎が身を引いたと感じる向きもあった様で、谷崎に対しては同情的で、千代への非難が多く寄せられたとか・・・。

マスコミや大衆は、いい加減で、心無いものであるのは間違いありませんが、「佐藤と千代の不倫が原因」という見方をしてしまいそうな出来事が、連名の声明を出す以前に起きていたのも実際の話らしいです。

千代の不倫相手は佐藤ではないようですが、谷崎と千代の夫婦関係が冷え切っていたのもまた実際の話でしょう。

谷崎の妻だった頃の千代は夫に従順で泣き虫な人だったそうですが、佐藤の妻となってからはとても明るく、時に夫を尻に敷くらいに朗らかになったそうです。

相性なのでしょうか。

佐藤は千代と結婚後も、度々他所で恋愛事を起こしていた様ですが夫婦仲は良く、死が二人を分かつまで連れ添いました。

昭和39年(1964年)佐藤春夫は亡くなります。

千代は永く悲嘆に暮れて日々を過ごしたそうです。

谷崎、佐藤両家は繋がる

広尾松栄堂意匠部 編『聚秀』第4巻,広尾松栄堂,
昭和5年 国立国会図書館デジタルコレクション

谷崎潤一郎、千代、佐藤春夫が離婚と結婚を考える上で、特に配慮していたのは、潤一郎と千代の娘、鮎子のことだったそうです。

多感な少女期なのですからね。

鮎子は千代とともに佐藤家で暮らすことになります。

春夫も佐藤家の人々も鮎子をとても可愛がり、鮎子も春夫と千代が一緒になる以前から、春夫に懐いていたそうです。

春夫・千代、この夫妻の人柄なのでしょうか、二人のもとには多くの人々が集まってきたみたいです。

佐藤春夫は「門弟三千人」と言われるくらいに多くの文壇人に慕われ、谷崎潤一郎の兄弟たちもしばしば夫妻のもとを訪ねていたそうです。

昭和14年(1939年)鮎子は佐藤春夫の甥、竹田龍児と結婚します。

佐藤家と谷崎家は親戚関係となり、二人の子供たちは両家の血を受け継いでいるのですね。

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