シュザンヌ・ヴァラドン 誇り高き自己チューおばさん 寂しき晩年編

父が何者かも知らない貧乏な少女は、成り上がる自分を信じて疑わない、根拠の有無は関係ないのです。

サーカスの空中ブランコ乗りを夢見た未来は、自らの向こう見ずな性格が災いして諦めざるを得ないことになります。

その後、美貌が武器となり、巨匠と言われる画家たちのモデル兼愛人を務め、”芸術の輪”の内側に招き入れられるのです。

シュザンヌ・ヴァラドン サーカス 1889年 クリーブランド美術館

念願のお金持ちと結婚

前屈みの少女のヌード 1909年 Albertina,Vienna

18歳で私生児を出産、この子が後の飲んだくれの画家モーリス・ユトリロです。

貴族の出の画家ロートレックの愛人であったとき、奥さんの座を狙い、恥知らずな狂言自殺を宣言して破局します。

そのロートレックにデッサンの才能を見出され、ドガの弟子となります。

音楽家エリック・サティーと付き合い、間も無くサティーの友人ポール・ムジスに鞍替えして、この会社の副社長を務めるお金持ちと結婚します。

夫が購入した別宅に、おそらく自身の野望達成のためには足手纏いと感じていたであろう老いた母と幼い息子を追いやり、強固な経済的後ろ盾も得たシュザンヌは画家修行に邁進するのです。

育児放棄された息子モーリスの晩年まで続く孤独

裸の少年時代のモーリス・ユトリロ 1896年 Albertina,Vienna

”恐るべきヴァラドン”と言われた女は、自己中心的で芸術家であることがこの世の最高の誉で、自身はその一員と考えていたのでしょうかね。

自身の人生の彩以外には無関心のように見えるシュザンヌは息子モーリスの育児は母マドレーヌに任せきりです。

モーリスからすれば、物心ついたころにはすでに母は貴族画家の愛人として忙しく、甘えたくて仕方がないときに母はいつもそばに居てくれない。

ムジスが義父となって経済的に何の心配の無い生活がおくれる様になっても母が会いに来てくれることはほぼ無く、寂しさ、孤独感は尚更深くなっていきます。

法律的に父親であることを認知したスペイン人ジャーナリスト ミゲル・ユトリロもヴァラドン家に接してくることはなかったようです。

モーリスがヴァラドン姓ではなくユトリロ姓であるのも母と切り離された印象を拭えませんね。

寂しさは13歳にして飲酒を覚えさせ、17歳でアルコール中毒になり生涯に渡り、ほぼお酒と縁を切れず、画家として評価される様になっても人々から馬鹿にされ、暴力をふるわれる人生になるのです。

モーモー(モーリスの愛称)の存在はムジス夫妻の悩みの種で口論の原因となります。

まぁ口論になれば大抵の場合、夫が折れてお仕舞いにする様ですが、シュザンヌは言い負かした気でいるのでしょう。

シュザンヌにしてみれば、どれほど息子を思い遣っていたのか分かりかねますね。

夫の機嫌を損ねて豊かな生活を失うことを気にしていたのではないかと想像しますが、その割には夫に対する態度は尊大な様な・・・。

いずれ夫婦は離婚します。

直接の原因はモーリスではなくシュザンヌ自身の不貞です。

自己チュー熟女は息子の友人と熱愛

「アダムとイヴ」の為の裸のカップルの習作 1910年 Albertina,Vienna

モーリスの3歳年下の友人アンドレ・ユテルとシュザンヌの出会いは、ぐでんぐでんになったモーリスをユテルが自宅に送り届けたときだそうです。

その時は特に何事もなかった様ですが後日再会します。

画家を目指す電気工の青年を何の気無しに自宅に招き入れ会話をしていて、仕事柄なのか自然と相手を観察していたのでしょうかね。

この子、女の子にモテるんだろうな・・・、なんて考えながら若いオスの匂いに当てられるうちに久しく忘れていた恋愛感情を惹起した様なのです。

こうしてユテルはシュザンヌの絵の為にポーズを取ったり、頻繁に逢う様になった様です。

この頃シュザンヌは44歳、ユテル22歳。

小柄な体躯ながら美貌を備えた若い頃には幅広い年齢の男たちと関係を持ったシュザンヌですが本人曰く、これが初めての熱き恋情何だとか・・・へぇぇ。

けれど”母は聖母”と常にママンが恋しいモーリスは、母にとっては引き続きノー眼中な存在なのですね。

まさか友人に愛しいママンを盗られるなんて。

自己チュー熟女の恋情は、豊かで安定的な生活を提供してくれる常識的な夫より、貧乏で浮気性の若いオスを選択した様です。

妻の不貞を知った夫ムジスの激おこぶりは凄まじく、画材を放り投げ、シュザンヌの描いた油彩画でこの不貞妻の頭を殴りつけた!!のだとか・・・。

こうしてムジスと離婚し、ユテルとは同棲を経て結婚します。

シュザンヌは元の貧乏暮らしに戻るのでしょうか、だけど見栄っ張りの画家おばさんは、ボヘミアンならばこんなの普通よ!なんてうそぶくのでしょうね、なんせ嘘つき気質は幼少の頃から持ち合わせてますから。

息子は絵画製造機

17歳でアル中になったモーリスのアル中の対処療法として絵を描くことを医師から勧められたシュザンヌは無理矢理、やる気の無い息子に絵を描かせました。

母同様に絵の才能を持ち合わせていた様で、そのうち自ら絵筆をとる様になるのですが、飲酒をやめることはできなかった様で、酒場で自分の描いた絵と引き換えに飲んでいた様です。

その絵を骨董屋に持ち込めば小銭くらいは手に入るとなれば、「絵を描け」とたかってくる輩に絡まれもするでしょう。

一方、シュザンヌもアンデパンダン展に参加したり個展を開催したりと、画家として注目される様になるのですが、なぜか絵は売れません。

ムジスと別れユテルと同棲した時期、自称画家兼電気工のユテルの収入などはたかが知れてますから、人気なのに売れない女流画家の暮らし向きは良くはないでしょう。

それでも恋するおばさん画家は充実した気持ちで日々を過ごせて創作にも良い影響をもたらした様です。

第一次世界大戦が勃発、翌年シュザンヌの母マドレーヌが亡くなり、ユテルと結婚をします。

ユテルは出征(前線に配属はされていないそうです)、男たちは戦場行き物資も多くはない不安な日々を創作に打ち込めないくらいに抜け殻の様に過ごした様です。

終戦後、人々の日常が戻って来て、ユテルが復員します。

息子モーリスは人気画家として不動の富と名声を得るのです。

ただ相変わらずの飲んだくれで奇行も多く度々警察の厄介になって様で、シュザンヌと義父ユテルは、窓に鉄格子を嵌めた部屋に監視人を付けて監禁状態で絵を描かせていた様です。

「これも母の務め」とでも言うのでしょうかね。

マネージャーを務めるユテルと共に、金蔓の”絵画製造機”を管理し、その稼ぎでやりたい放題です。

息子はお金持ちの未亡人と結婚

1935年70歳になるシュザンヌは尿毒症の発作を起こし入院します。

この頃シュザンヌはモーリスの結婚を画策する様です。

シュザンヌ母子は以前から、多くの芸術家のパトロンを自認するベルギーの銀行家とその妻が催す会食の席に連なっていたそうで、その銀行家が亡くなってからも未亡人リュシー・ヴァロールとシュザンヌの親交は続いていたそうです。

リュシーはモーリス・ユトリロのコレクターでもあります。

病院へお見舞いにきたリュシーに

「貴女、うちの息子と結婚しない?」

とでも冗談で言ったのかも知れませんが、モーリスとリュシーは本当に結婚してしまいます。

新郎は初婚で51歳、新婦は12歳も年上です。

そもそも何故シュザンヌは息子の結婚を考えたのでしょう。

自身の老いと死期を悟り母親らしい心配さからでしょうか、それもあるかも知れません。

でも常に息子ほったらかしの毒親が急に母親らしい気持ちになるとは・・・、

ユテルへの愛情を持ち続けるシュザンヌは嫉妬から彼への意趣返しの気分が強かったのではないかと。

モーリスの稼ぎでモンマルトルの名士気取りのユテルは、ここのところ偏狭で自己中心的な、扱いにくいおばば妻と奇行の絶えない連子にほとほと嫌気がさして若い女と同棲して帰宅することがない様です。

モーリスが結婚して彼の作品の管理がリュシーに渡れば、義理の息子の稼ぎでいい気になってる元電気工には哀れな結末しか残されないであろうこと、実際ユテルも飲んだくれ堕ちして肺炎で亡くなったそうです。

嫉妬に狂う老いた妻の復讐でしょうね。

でもそれは息子の稼ぎと縁切れたシュザンヌとて同様では?・・・。

リュシーからの援助の申し出をシュザンヌは断り続けたそうです。

見栄っ張り自己チューおばさん画家の最後

年配の女性 1894-1910年 Albertina,Vienna

一人ぼっちになったシュザンヌに創作に打ち込む気力などなく、孤独に耐えられないのか、日が暮れると自宅を出て夜のモンマルトルを徘徊して酒場で飲んだくれ、浮浪者を自宅に連れ込様になったとか。

そんなシュザンヌは残り僅かな人生の最後の”伴侶”と出逢います。

酒場でギターを弾いていた東洋系の男、名はガジー、職業は画家だそうです。

二人がどうやら本当に互いを求め、短い時間を共有した様です。

1938年脳出血によりシュザンヌ・バラドン死去、享年72歳

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